第八話「約束」

脚本:高橋ナツコ/絵コンテ:佐野隆史/演出:仁昌寺義人/作画監督:垣野内成美、齊藤格、澤田美香

約束の地での決戦を誓う徳川家康と石田三成。
一方、天海の真の目的が、第六天魔王・織田信長の復活だと知った慶次と孫市。
生者を取り込みながら西進する、お市と天海。
また、四国壊滅の真犯人が毛利元就だと知った長曾我部元親。
そして政宗と幸村は、大坂の地でついに再会。
全ての者達の想いが決戦の地、関ヶ原に向けられる。
(アニメ公式サイトより引用)



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※このページでは検証目的で「戦国BASARA Judge End」(テレコム・アニメーションフィルム制作)の映像を一部引用しています。
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・以下アニメの疑問点を紹介

+  謎のファンシーな大漁旗
 謎のファンシーな大漁旗
卒塔婆郡の中にはためく大漁旗だが、非常にファンシーなデザインとなっている
鮫をデフォルメしたマスコットの背に日章旗、そして中央には「西海の鬼」と文字が
書かれていると思われるが、はためいている状態で「西海の男」としか読み取れない
このシーンにおいては、あまりにも場違いなものとしか思えない大漁旗である
原作において長曾我部軍で「大漁旗」という言葉は出てくるが、実際に大漁旗は出ていない
大漁旗自体については、原作無印の政宗OPにて騎馬で大漁旗をはためかせている演出有り
但し、この様なファンシーな大漁旗では無い


+  ゾンビ化してお市と共に移動する織田兵達
 ゾンビ化してお市と共に移動する織田兵達
原作において市が死者を魔の手で引きこむ行為は有るが、死者そのものを操る設定は無い
「覗け音の海」で根の国を展開させ吹き出す怨霊で攻撃をするという固有技が有るが
死者をゾンビ化して操れる訳ではない
南部晴政の「南部黄泉夜行」と称される香炉の作用で亡者を何度も蘇らせるという設定は有るが
勿論市がそれを使うという設定等無く、南部晴政はアニメに登場していない


+  激昂する雑賀孫市
 激昂する雑賀孫市
原作において孫市は常に冷静に物事を判断し、動揺を見せる事は極稀というキャラクターである
織田信長に対して憎しみや恨みを抱き続けているが、周囲にはこういった感情は隠している
だがアニメにおいて、まつから天海の信長復活計画を聞かされ「そのようなこと断じて許さぬ!」と
人前で怒りの感情を露わにする演出がされ、孫市のキャラクター性とかけ離れた演出と言える
慶次より「どうしたんだ孫市、あんたらしくも無く興奮して」と言われるが“らしくない”どころの
違和感では無い

加え、アニメ内で「もう二度と誰であろうと奴に汚されることは許さん。そのために”私”は孫市を継いだ」と語っているが
ゲーム内でこのような事は語られていない
雑賀衆が「全は個、個は全」という独自の考えで動いている事は、原作内の孫市の台詞からも明らかであり、
彼女が孫市を継いでまずした事は仇討ちではなく、豊臣と契約をして雑賀衆を立て直したことである
その為上記のような個人の意志で孫市を継いだとは考えにくい

+  雑賀孫市の過去を聞いた慶次の反応
 雑賀孫市の過去を聞いた慶次の反応
原作において、孫市が雑賀衆を立て直した事も含め慶次は知っているという演出がされているが、
アニメでは孫市の過去を聞いた時、まるで孫市と信長の因縁を知らないような反応を慶次はする
だが、織田信長の家臣である前田利家の甥の慶次が、織田軍が雑賀衆を一時的な壊滅に追い込んだ
石山合戦のことを知らない事に違和感を覚える

+  独断で重要な方針を打ち出すまつ
 独断で重要な方針を打ち出すまつ
「これは織田家に連なった者としての責任です」という台詞から、即ち過去前田家が織田配下で
あった事の責任という事になる
原作においてまつは、前田利家への進言や尻を叩いて鼓舞させるような遣り取りはあるものの
一歩引いて利家の意思や思いを尊重し寄り添うという描写がされており、今回のように独断で
戦に発展し得る事の決定をするのには違和感が有る

+  団子にこだわる伊達政宗
 団子にこだわる伊達政宗
無人の茶屋において政宗は団子がないことについて不満を述べるが、
政宗はIG版アニメにおいて小林P(カプコン)より
「イメージが壊れるから食べるシーンはNG」とされていたほど
食に関する描写がされてこなかったキャラクターである。
当然団子を特に好むという設定があるわけでもなく、1国の主とは思えないみみっちさであり、
この台詞をわざわざ言わせた必要性が謎である。
ちなみに、真田幸村にはコミカライズ版より逆輸入された団子好きという設定がある。

+  見付からない伊達主従
 見付からない伊達主従
上記項目より政宗と小十郎は茶屋で腰を一旦落ち着けているが、そもそも茶屋の外には
大坂城に集まった各軍の兵が存在している。
その中で、兜を取ってはいるものの変装するでなし、戦時とほぼ同じ出で立ちであるにも関わらず
兵に見付からずに茶屋へ入っているらしい二人。
後に幸村へ政宗が声をかけて存在を知られるのだが、画面に映っている兵はぴくりとも動かず周囲はざわりともしていない。
西軍が他軍の大将の顔すら知らない者達の集まりであり、大坂城から引き返す道中に発せられる
小十郎の「西方は一枚岩では無いようですね」という台詞演出の一つも考えられるが、余りにも
不自然過ぎる演出に首を捻るしかない。

+  民草を盾に取るかような挑発をする伊達政宗
 民草を盾に取るかような挑発をする伊達政宗
先の場面において民の現状を小十郎から聞き、「いつも皺寄せは弱い者って事か」と、
民を気遣う本来のキャラクター性を垣間見せていたが、その後幸村との会話にて
「だったら此処でやるか?色々巻き込んじまうだろうがな」と、
民を盾に取るかのような物言いをしている。
たとえ挑発のためであっても、政や民への想いが真摯な政宗のキャラクター性からは考えられない台詞である。

+  無人の茶屋で小十郎が出した茶に金を払う伊達政宗
 無人の茶屋で小十郎が出した茶に金を払う伊達政宗
敵陣において無人の茶屋らしきあばら屋に上がりこみ茶を飲むという状況自体がまず謎であるが、
無人であるためか片倉小十郎がどこからか茶を持ってくるという謎展開となり、
さらに茶を出したのは小十郎なのに政宗が自ら小銭で代金を払うという謎の流れが続いた。
場面の必要性、キャラクターの行動としての必然性、時代考証などの点から
違和感が強く、ひたすらぎこちなさを感じる流れであったと言える。

+  清廉さを求める石田三成
 清廉さを求める石田三成
原作において三成は秀吉の天下、秀吉の夢を叶える事以外に望む所無く、他者に対しても
自身と同じく秀吉へ対し無条件に尽くす事を求めており、刑部より
「この男は驚くほど何も持っておらぬ。我でさえ奴の私物らしい私物を見た事が無い。
 金も名誉も部下も要らぬと言う。おまけに食べることにも興味がない」
と評され、鶴姫からは「こんなに透明な人は初めて」と評されている
こうした評価から原作三成のキャラクター性において「清廉」と評されてもおかしくは無いが、
アニメ内において別項、又は過去回検証でも触れられている通り、秀吉への盲目的な信奉心が
原作シーンのカット、家康への反応等により薄れた演出になってしまっている為に、アニメにおいて
三成が「清廉」だと評されるのには違和感が有り、何を指しての「清廉」なのかには疑問が残る

+  石田三成を支えたい真田幸村
 石田三成を支えたい真田幸村
主を失った三成と、主が病に倒れた自身とを同列に語る幸村
三成自身幸村と同じ迷いの中に居るかは幸村自身分からないようだが
「だが某はそんな石田殿を支えたいと思うのだ」と発言している
原作において幸村は、あくまでも「武田の大将」として成長していく過程が描かれており
8話内におけるような描写は原作には無い
オリジナルストーリーの部分に当てはまるとしても、三成を右腕の如く支えるという幸村の言動は
武田の大将としても、武田家臣の思考のままだったとしても、有り得なさすぎる展開である
そしてこの直後政宗は「あんたらしいな」と発言しているが、どの部分が幸村らしいのか皆目検討もつかない

+  男のジェラシーを感じている伊達政宗
 男のジェラシーを感じている伊達政宗
真田幸村より何故東軍についたのか尋ねられた際、政宗は「ちょいとした男のジェラシーさ」と返答している。
当アニメの政宗は既に指摘されているように、政宗の前で家康の話をした者は誰もいないにも関わらず
「どいつもこいつも家康家康…」と突然ゲームにおける三成の台詞を言い出し、
「家康に嫉妬している」という属性は立ち直り後も続いている模様である。
ゲーム3の政宗は、挫折のさなか家康の強さや勢力の大きさに対し、少し卑屈になる場面は見られたが、
その力や人柄に信頼を置き建設的な同盟関係を築いていたため、嫉妬というほどの感情だとするのは疑問である。
また仮に嫉妬という感情を抱いたとしても、それを簡単に他人に吐露するのは、
常に本音を隠し弱みを見せないように振る舞う政宗のキャラクター性にそぐわないものである。

+  使い所のおかしい伊達政宗の南蛮語
 使い所のおかしい伊達政宗の南蛮語
南蛮語を操る政宗は、原作においてはここぞという箇所で婉曲表現の意を込めて
単語では無くフレーズで英語表現を使う演出が多い
しかし、8話においての政宗は「ジェラシー」や「ティーブレイク」「パーティーのリザーブさ」等、単語を単に
英訳しているだけの演出、又は和製英語を使用しているかのような
その単語の持つ言葉以上の意味は無い演出となってしまっており、非常に違和感を感じる

+  伊達政宗の一貫していない天下への思い
 伊達政宗の一貫していない天下への思い
冒頭で「ここからは最短コースで行くぜ。天下へのな!」と発言しているものの、大阪城の城下にて幸村と相対した後
「俺は戦いたい奴と戦い、越えたい奴を越える」と政宗は発言しており、政宗の天下に対する思いが八話内で一貫して
いないように見受けられる

+  変わらない伊達政宗
 変わらない伊達政宗
「相変わらずだねえ、伊達の旦那は」
「ああ、変わらずでござる。かつての伊達政宗そのもの」
と会話が有るが、どの部分においての伊達政宗なのか疑問である
過去回において初陣では味方兵の命を顧みない指揮をとり、小田原城においては伊達軍を置いて
小十郎と二人での乗り込みをした結果三成に斬られ、目を覚ませば刀を振り回し、天下等どうでも良いと言い
三成への私怨で再び伊達軍を置いての駿府城単独進軍、その後上田城での政宗らしからぬ言動
上記はアニメ内において描写された政宗であり、それ以外の政宗は描写されていない為
幸村や佐助の言う「あいかわらず」な政宗を当てはめるべき演出がされている政宗はアニメ内に存在していない

+  南蛮語を使う真田幸村
 南蛮語を使う真田幸村
「某のライバルでござる」と発言しているが、ライバルは勿論日本語ではない
幸村が政宗との間柄に使う言葉は「好敵手」
原作において幸村が自身から南蛮語を使う演出は無く、この台詞は真田幸村というキャラクターを
根底から覆す演出であると言える

+  謎のビームと関ヶ原の地割れ(回想)
 謎のビームと関ヶ原の地割れ(回想)
回想シーンにおいて家康と三成が背中合わせで黄色と紫のビームらしきものを出し、
広範囲を吹き飛ばして地面が割れるという演出がなされた。
このアニメにおけるこれまでの戦闘描写は、1話の伊達主従が斬られて流血するなど、
従来のバサラとの差別化としてかリアル路線の演出であったため、
突然のファンタジー路線に戸惑い禁じえない場面であった。
なお、このビームがあれば武器も歩兵も不要ではないかとの指摘がある。




+  「生き残った将兵との絆を結ぶ方が天下泰平の世の為だ」
 「生き残った将兵との絆を結ぶ方が天下泰平の世の為だ」
「無益な殺戮で散る命よりも、生き残った将兵との絆を結ぶ方が天下泰平の世の為だ」
と、絆を説く家康だが、敵兵の罠だったと判明した後は一瞬躊躇するも敵兵全滅という選択肢に
家康の絆の意図が汲み取れない演出となってしまっている
そして敵兵を全滅させたと思われる直後に
「ワシは戦いの中でも絆は結ばれるものだと思っている」と更に発言しているが
家康のキャラクター性から考えずとも死屍累々の状況下において発せられる言葉だとは思えない


+  友達同士の徳川家康と石田三成
 友達同士の徳川家康と石田三成
過去回検証ページにおいて幾度か触れられているが、原作における二人は互いの力を認めているものの
必要以上に馴れ合ってはおらず、元々家康は秀吉の天下を否定する立場であり、原作において秀吉を信奉するような描写は無い

+  石田三成の笑顔
 石田三成の笑顔
石田三成は戦国BASARA4において新キャラクターの島左近により、
「三成様が笑うところを見たら死ぬ」という噂を冗談で流されるほど笑わないキャラクターであり、
原作の三成のキャラクター性を大きく損なう描写であるといえる。


+  総大将として石田三成を仰ぐ真田幸村
 総大将として石田三成を仰ぐ真田幸村
「某は貴殿を総大将として仰いだのは、この戦で全てを賭けるに足る人物と認めたからでござる」
と幸村は発しているが、本来「仰ぐ」は尊敬、敬いの心、もしくは教えや援助等を求め請うという意味であり
兵達の諍いを止める為に「同じ旗に集いし対等な立場」と言っている事と矛盾が生じる
何より、あくまでも幸村は武田の総大将であり、豊臣(石田)軍と同盟を組んだのみで傘下に降ったわけでは無い
そして今まで幸村が三成と交わした会話、アニメ内で描写されている三成の行動を考えてみても
どの部分が「全てを賭けるに足る人物と認め」「三成を仰ぐ」に至ったのかは謎である
勿論原作においてこのような遣り取りは無い

+  天守閣からの演説をする石田三成と、駿府城の傍らで演説をする徳川家康
 天守閣からの演説をする石田三成と、駿府城の傍らで演説をする徳川家康
演出の差に驚くばかりである。

+  石田三成の演説
 石田三成の演説
演説の全体において原作での石田三成というキャラとの乖離が激しい為、全文抜粋をさせて頂く

皆よ、聞けー!
この愚かな日ノ本は、古来より長きに渡り国盗りの戦を続けてきた。
その結果が魔王織田信長等の暴虐を許した。しかし魔王も裏切りにおいて死んだ。
その時!まさにこの国が無くなり、外国(そとくに)に無防備にさらされたのだ。
それを大いなる力と尊厳を持ち立ち上がられたのが、秀吉様である!
秀吉様は、この国を変えようとした。何者にも汚されない強き国に。
この日ノ本は秀吉様により統べられ、一つになる事で強固で盤石な国家になると誰もが信じた筈だ!
だが、もうその秀吉様はもう居ない。あの男が豊臣家に忠義を誓っていた徳川家康が裏切り、
秀吉様を殺した!
この国を再び戦いの螺旋へと引き戻したのだ!

裏切り者である奴は謳う。嘘で繕った平和への憧憬を!
だが私は全てを否定する。どのような甘言で人を惑わそうとも、裏切りから生じたものに真実は無いと!
私は秀吉様に拾われた。幼き私は弱く、生きる術、いや、生きる理由も無く、ただ虐げられただ息をしていた
だけの存在だった。そんな私を生かしてくれたのが秀吉様だった。
秀吉様、半兵衛様、お二人のお陰で私は初めて日常を得たのだ。
この戦いの先は私には考えられない。それは生き残った者達が考えれば良い。

私には秀吉様以外は何も無かった。今の私はこの大きな軍を率いるには相応しくないかもしれない。
私は大将としては空虚だ。それでもこんな私を信じてくれる者達が居た。
隙間だらけの私を埋めるために、自ら手を汚した者が居た。ある者は私を支えてくれると誓ってくれた。
感謝しよう。そして共に約束を交わして欲しい。命の全てを捧げ、戦い、そして勝利すると。
行くぞ!成すべき事は一つ!
東の旗が掲げた偽りの絆に断罪を!家康に死をー!

最終更新:2014年09月28日 17:01