阪急杯(G3)


主催者

日本中央競馬会

競馬場

阪神競馬場

創設

1957年6月30日

距離

芝1400m

格付け

GIII

賞金

1着賞金4000万円

出走条件

サラブレッド系4歳以上(国際)(指定)

負担重量

グレード別定

阪急杯(はんきゅうはい)は、日本中央競馬会(JRA)が阪神競馬場の芝内回り1400mで施行する中央競馬の重賞(GIII)競走である。競走名は優勝杯を提供する阪急電鉄から冠名が取られた。

概要

本競走は1955年から1956年の2年間だけ施行された、阪神競馬場の芝2400mの4歳(現3歳)以上のハンデキャップの重賞競走「阪神記念」を前身とし、1957年に阪神競馬場の芝2200mの4歳(現3歳)以上のハンデキャップの重賞競走「宝塚杯」として新設された。
1960年に阪急電鉄から優勝杯の提供を受けると名称を現在の阪急杯に改名、施行距離を芝1800mに変更、1965年のみ芝1850m、1967年から1971年は芝1900m、1972年からは芝1600m、更に1981年の短距離重賞路線整備に伴い芝1400mと初夏のハンデキャップの短距離重賞競走として定着していき、1984年のグレード制施行によりGIIIに格付けされた。
1990年には混合競走に指定され、外国産馬の出走が可能となり、1996年には高松宮杯(現在の高松宮記念)のGI昇格・距離短縮を中心とした短距離重賞路線の再整備に伴い芝1200mに変更。1997年には高松宮記念のステップレースの位置付けになり、開催時期を3月末から4月上旬に、出走資格を4歳以上にそれぞれ変更された。
2000年には開催時期を2月末から3月初めに、負担重量を別定にそれぞれ変更、更に特別競走に指定され地方所属馬の出走も可能になり、2005年には国際競走に指定、2006年には短距離重賞路線の再整備に伴い再び芝1400mに戻した。
関東圏の高松宮記念の前哨戦オーシャンステークス(2006年新設)と対になる競走で、関西圏の高松宮記念の前哨戦となる重要な競走である。
出走資格は、サラ系4歳(旧5歳)以上のJRA所属の競走馬、地方所属の競走馬(3頭まで)及び外国調教馬(8頭まで)。2014年より第1着となった競走馬には高松宮記念への優先出走権が与えられる。また地方所属馬のみ、上位2着までに高松宮記念の出走権(優先出走権ではない)が与えられるステップ競走となっている。
負担重量は56kg、牝馬は2kg減を基本とし、
施行日当日から1年前の開催週以降のGI競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は2kg増
施行日当日から1年前の開催週以降の牝馬限定GI競走またはGII競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は1kg増
施行日当日から1年前の開催週より過去のGI競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は1kg増
以上のように斤量が課せられる。ただし2歳時の成績を除く。

歴史

1957年 - 阪神競馬場の芝2200mの4歳(現3歳)以上のハンデキャップの重賞競走、宝塚杯として新設。
1958年 - 競馬法35周年記念競走の副称が当年のみ付く。
1959年 - 阪神競馬場の改修工事により京都競馬場の芝外回り2200mで施行。
1960年 - 前年の9月1日から日本競馬の時計が変更になったのに伴い、時計表示が1/5秒表示から1/10秒表示に変更。名称を現在の阪急杯に改名。施行距離を芝1800mに変更。
1962年 - 清田十一が騎手として史上初の連覇。伊藤勝吉が調教師として史上初の連覇。
1965年 - 施行距離を芝1850mに変更。
1966年 - 阪神競馬場の改修工事により京都競馬場の芝外回り1800mで施行。
1967年 - 施行距離を芝1900mに変更。
1969年 - 阪神競馬場のスタンド火災により京都競馬場の芝1900mで施行。
1972年 - 施行距離を芝1600m[1]に変更。
1974年 - 阪神競馬場のダートコース新設工事により京都競馬場の芝外回り1600mで施行。
1976年 - 京都競馬場の芝外回り1600mで施行。
1981年 - 施行距離を芝1400mに変更。
1984年 - グレード制施行によりGIIIに格付け。
1988年 - 橋口弘次郎が調教師として2人目の連覇。
1990年 - 混合競走に指定。
1991年 - 阪神競馬場の改修工事により京都競馬場の芝外回り1400mで施行。
1995年 - 阪神競馬場の阪神・淡路大震災の影響により京都競馬場の芝外回り1400mで施行。震災復興支援競走の副称が当年のみ付く。土曜日施行に変更された。(1997年~1999年も土曜日に施行された)
1996年 - 施行距離を芝1200mに変更。
1997年 - 開催時期を3月末~4月初めに変更。それに伴い、出走資格も「5歳(現4歳)以上」に変更。
1999年 - 厩務員ストライキの影響で施行日を4月10日に延期。
2000年 - 開催時期を2月末~3月初めに変更。指定交流競走に指定され、地方所属馬は2頭まで出走可能となる。負担重量を別定重量に変更。日曜日施行に戻る。
2001年 - 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「5歳以上」から「4歳以上」に変更。
2002年 - 地方所属馬の出走枠が3頭に拡大。
2005年 - 混合競走から国際競走に変更され、外国調教馬は4頭まで出走可能となる。
2006年 - 施行距離を芝(内回り)1400mに戻す。牝馬限定競走優勝馬の負担重量を軽減。競走中にコスモサンビームが死亡。
2007年 - 日本のパートI国昇格に伴い、外国調教馬の出走枠が8頭に拡大。レース史上初、JRA重賞では2002年京成杯以来の2頭同着優勝。
2008年 - 5位入線のマルカフェニックスが進路妨害により12着に降着。
2012年 - 負担重量の加増内容を別定のGII競走と同様にし、上限を59kgから58kg(牝馬は2kg減)にする。以下のように変更される。
過去1年以降のGI競走(牝馬限定競走を除く)1着馬の斤量加増を3kgから2kgに変更。
過去1年以降の牝馬限定GI競走またはGII競走(牝馬限定競走を除く)1着馬および施行日前日から過去1年以前のGI競走(牝馬限定競走を除く)1着馬の斤量加増を2kgから1kgに変更。
過去1年以降の牝馬限定GII競走またはGIII競走(牝馬限定競走を除く)1着馬および施行日前日から過去1年以前の牝馬限定GI競走またはGII競走(牝馬限定競走を除く)1着馬の加増1kgを削除。
2014年 - この年から当競走の1着馬に高松宮記念への優先出走権が付与される。

過去20年歴代優勝馬

回数 施行日 優勝馬 性齢 タイム 優勝騎手 管理調教師 馬主[要出典]
第39回 1995年6月3日 ボディーガード 牡4 1:20.0 松永幹夫 山本正司 浅川清
第40回 1996年6月16日 トーワウィナー 牡6 1:08.5 河内洋 佐山優 斉藤一郎
第41回 1997年3月29日 シンコウフォレスト 牡4 1:10.5 四位洋文 栗田博憲 安田修
第42回 1998年4月4日 マサラッキ 牡5 1:08.5 河内洋 増本豊 丸井正貴
第43回 1999年4月10日 キョウエイマーチ 牝5 1:08.6 秋山真一郎 野村彰彦 松岡正雄
第44回 2000年2月27日 ブラックホーク 牡6 1:08.7 横山典弘 国枝栄 金子真人
第45回 2001年2月25日 ダイタクヤマト 牡7 1:08.7 M.デムーロ 石坂正 (有)太陽ファーム
第46回 2002年2月24日 アドマイヤコジーン 牡6 1:07.9 後藤浩輝 橋田満 近藤利一
第47回 2003年3月2日 ショウナンカンプ 牡5 1:08.5 藤田伸二 大久保洋吉 国本哲秀
第48回 2004年2月29日 サニングデール 牡5 1:08.5 吉田稔 瀬戸口勉 後藤繁樹
第49回 2005年2月27日 キーンランドスワン 牡6 1:08.5 四位洋文 森秀行 平井豊光
第50回 2006年2月26日 ブルーショットガン 牡7 1:22.5 松永幹夫 武宏平 (株)荻伏レーシング・クラブ
第51回 2007年2月25日 プリサイスマシーン 牡8 1:20.5 安藤勝己 萩原清 池谷誠一
          同着 エイシンドーバー 牡5 幸英明 湯浅三郎 平井豊光
第52回 2008年3月2日 ローレルゲレイロ 牡4 1:20.7 四位洋文 昆貢 (株)ローレルレーシング
第53回 2009年3月1日 ビービーガルダン 牡5 1:21.1 安藤勝己 領家政蔵 (有)坂東牧場
第54回 2010年2月28日 エーシンフォワード 牡5 1:21.4 岩田康誠 西園正都 (株)栄進堂
第55回 2011年2月27日 サンカルロ 牡5 1:20.1 吉田豊 大久保洋吉 (有)社台レースホース
第56回 2012年2月26日 マジンプロスパー 牡5 1:22.0 浜中俊 中尾秀正 佐々木主浩
第57回 2013年2月24日 ロードカナロア 牡5 1:21.0 岩田康誠 安田隆行 (株)ロードホースクラブ
第58回 2014年3月2日 コパノリチャード 牡4 1:20.7 浜中俊 宮徹 小林祥晃


最終更新:2015年03月03日 18:37