スプリングステークス(G2)


主催者

日本中央競馬会

競馬場

中山競馬場

創設

1952年3月10日

距離

芝1800m

格付け

GII

賞金

1着賞金5200万円、賞金総額1億836万円

出走条件

サラブレッド系3歳牡馬・牝馬(国際)(指定)

負担重量

馬齢(牡馬56kg、牝馬2kg減)

スプリングステークスは、日本中央競馬会(JRA)が中山競馬場の芝1800メートルで施行する中央競馬の重賞(GII)競走である。競走名は英語で春を意味する「Spring」から。フジテレビジョンが優勝杯を提供しているため正式名称はフジテレビ賞スプリングステークスと表記され、フジテレビの競馬中継では「スプリングステークス」ではなく「フジテレビ賞」と呼ばれることもある。

概要

1952年にクラシック競走である皐月賞の前哨戦として4歳(現3歳)牡馬・牝馬限定の別定重量の重賞競走、スプリングステークスとして創設、第1回は現在とは違い東京競馬場の芝1800mで施行された。
1958年からは皐月賞トライアルに指定され上位5着までに入賞した競走馬には皐月賞の優先出走権が与えられるようになり(ただし、上位に入賞した競走馬に皐月賞の優先出走権が与えられるようになったのはナスノコトブキが3着に敗れ皐月賞出走を逃した1966年よりあとのことである)負担重量を定量に変更、さらに施行場を中山競馬場の芝1700mに変更、1960年から現在の芝1800mに変更した。
1984年のグレード制施行によりGIIに格付け、1986年は3月23日の開催予定が降雪による当日の第3回中山競馬2日目の第8競走以降が中止、本競走のみは翌週に順延開催され日経賞と同日開催となり1988年は中山競馬場の改修工事によりふたたび東京競馬場の芝1800mで施行、1991年には優先出走権の見直しにより上位3着までに入賞した競走馬に皐月賞の優先出走権が与えられるように変更された。
1995年からは特別指定交流競走に指定、地方所属の競走馬も出走が可能になりさらに2002年からは外国産馬の活躍による出走資格の見直しの一環で皐月賞も外国産馬が出走可能になったことに伴い混合競走に指定、2003年からは負担重量を馬齢に変更した。2010年からは国際競走となった。
皐月賞トライアルの中で一番歴史のある競走で弥生賞とともに皐月賞の重要な前哨戦として位置付けられ、第8回の2着馬ウイルデイールが皐月賞を制したのを初めに数多くの出走馬が後にGI(級)の競走で優勝している。
現在の優勝レイの配色は赤色地に銀色文字で、協賛のフジテレビジョンが属するフジサンケイグループの目印である目玉マークもあしらわれている。
出走資格はサラ系3歳(旧4歳)のJRA所属の牡馬・牝馬の競走馬、地方所属の競走馬(2頭まで)および外国調教馬(8頭まで)。上位3着まで入賞した競走馬には皐月賞の優先出走権が与えられる。
負担重量は馬齢重量で牡馬は56kg、牝馬は54kgである。

歴史

1952年 - 東京競馬場の芝1800mの4歳(現3歳)の牡馬・牝馬の別定の重賞競走、スプリングステークスとして創設(創設当初の基本負担斤量は牡馬・牝馬共に52kg)。
1955年 - 施行距離を芝1600mに変更。
1958年 - 皐月賞トライアルに指定され、上位5着までの入賞馬に皐月賞の優先出走権が付与されるようになる。施行場を中山競馬場の芝1700mに変更。負担重量を「別定重量」から「定重量」に変更。負担斤量を牡馬55kg、牝馬53kgに変更。元地方大井所属のダイゴホマレがJRA転厩馬として史上初の優勝。
1960年 - 前年の9月1日から日本競馬の計時方式の変更に伴い、時計表示が1/5秒表示から1/10秒表示に変更。施行距離を芝1800mに戻す。
1961年 - 元地方大井所属のユキロウがJRA転厩馬として史上2頭目の優勝。渡辺正人が騎手として史上初の連覇。
1964年 - フジテレビジョンから寄贈賞を受け、フジテレビ賞スプリングステークスに名称変更。中山競馬場の改修工事により東京競馬場の芝1800mで施行。
1965年 - 栗田勝が騎手として2人目の連覇。
1968年 - 東京競馬場の施設改修工事により、1ヶ月遅れの4月28日に施行。
1971年 - 負担斤量を牡馬56kg、牝馬54kgに変更。
1972年 - 流行性の馬インフルエンザの影響で東京競馬場の芝1800mで5月に順延開催。
1973年 - 元地方大井所属のハイセイコーがJRA転厩馬として史上3頭目の優勝。
1984年 - グレード制施行によりGIIに格付け。
1986年 - 3月23日の開催予定が降雪による当日の第3回中山競馬2日目の第8競走以降が中止、本競走のみは翌週に順延開催、日経賞と同日開催となる。
1988年 - 中山競馬場の改修工事により東京競馬場の芝1800mで施行。
1990年 - 菅原泰夫が騎手として3人目の連覇。
1991年 - 皐月賞の優先出走権取得条件が上位5頭から上位3頭の入賞馬に変更。
1995年 - 指定交流競走に指定され、地方所属馬は2頭まで出走可能となる。南井克巳が騎手として4人目の連覇。
1998年 - 蛯名正義が騎手として5人目の連覇。
2001年 - 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「4歳牡馬・牝馬」から「3歳牡馬・牝馬」に変更。
2002年 - 混合競走に指定。
2003年 - 負担重量を「定重量」から「馬齢重量」に変更。
2007年 - 国際セリ名簿基準委員会(ICSC)の勧告により、重賞格付け表記をJpnIIに変更。
2010年 - 混合競走から国際競走に変更され、外国調教馬は8頭まで出走可能となる。それに伴い、重賞格付け表記をGIIに戻す。この年に限り、林田健司作曲のファンファーレを使用する[注 1]。
2011年 - 中山競馬場で3月20日の施行予定が東日本大震災の影響により中山競馬場での開催が中止になったため、3月26日に阪神競馬場芝外回り1800mで順延開催された。「フジテレビ賞」の冠を外し、「東北関東大震災被災地支援競馬」として実施された。
2014年 - この年に限り、『みんなのKEIBA』テーマ曲「Now1」を本馬場入場曲として使用され、場内アナウンスを塩原恒夫(フジテレビアナウンサー)が行った。

過去20年歴代優勝馬

回数 施行日 優勝馬 性齢 タイム 優勝騎手 管理調教師
第44回 1995年3月26日 ナリタキングオー 牡3 1:54.5 南井克巳 中尾謙太郎
第45回 1996年3月24日 バブルガムフェロー 牡3 1:50.1 岡部幸雄 藤沢和雄
第46回 1997年3月16日 ビッグサンデー 牡3 1:52.2 蛯名正義 中尾正
第47回 1998年3月22日 クリールサイクロン 牡3 1:49.8 蛯名正義 稲葉隆一
第48回 1999年3月21日 ワンダーファング 牡3 1:51.2 幸英明 領家政蔵
第49回 2000年3月19日 ダイタクリーヴァ 牡3 1:49.1 高橋亮 橋口弘次郎
第50回 2001年3月18日 アグネスゴールド 牡3 1:50.1 河内洋 長浜博之
第51回 2002年3月17日 タニノギムレット 牡3 1:46.9 四位洋文 松田国英
第52回 2003年3月23日 ネオユニヴァース 牡3 1:48.2 M.デムーロ 瀬戸口勉
第53回 2004年3月21日 ブラックタイド 牡3 1:48.3 横山典弘 池江泰郎
第54回 2005年3月20日 ダンスインザモア 牡3 1:47.3 蛯名正義 相沢郁
第55回 2006年3月19日 メイショウサムソン 牡3 1:48.9 石橋守 瀬戸口勉
第56回 2007年3月18日 フライングアップル 牡3 1:49.0 横山典弘 藤沢和雄
第57回 2008年3月23日 スマイルジャック 牡3 1:48.9 小牧太 小檜山悟
第58回 2009年3月22日 アンライバルド 牡3 1:50.8 岩田康誠 友道康夫
第59回 2010年3月21日 アリゼオ 牡3 1:48.2 横山典弘 堀宣行
第60回 2011年3月26日 オルフェーヴル 牡3 1:46.4 池添謙一 池江泰寿
第61回 2012年3月18日 グランデッツァ 牡3 1:50.7 M.デムーロ 平田修
第62回 2013年3月17日 ロゴタイプ 牡3 1:47.8 C.デムーロ 田中剛
第63回 2014年3月23日 ロサギガンティア 牡3 1:48.4 M.デムーロ 藤沢和雄

最終更新:2015年02月09日 17:50