ダービー卿チャレンジトロフィー(G3)


主催者

日本中央競馬会

競馬場

中山競馬場

創設

1969年11月16日

距離

芝芝・外1600m

格付け

GIII

賞金

1着賞金3800万円

出走条件

サラブレッド系4歳以上(国際)

負担重量

ハンデキャップ競走

ダービー卿チャレンジトロフィー(ダービーきょうチャレンジトロフィー)は、日本中央競馬会(JRA)が中山競馬場の芝外回り1600mで施行する平地の重賞(GIII)競走である。競走名は1969年に第18代ダービー卿エドワード・ジョン・スタンリーから優勝杯を寄贈されたことによる。「ダービー卿CT」と簡略表記されることが多い。

概要

第1回は、1969年11月に東京競馬場と京都競馬場でイギリスの騎手3名を招いて計4競走行われた「英国騎手招待競走」の1競走として行われた[1]。第18代ダービー卿エドワード・ジョン・スタンリーから寄贈された優勝杯「ダービー卿チャレンジトロフィー」を副賞として行われた本競走には「第2回英国騎手招待」の副称が付いていた[2]。招待騎手の中ではニットエイトに騎乗したレスター・ピゴットの3着が最高だった[2]。
回次が振られるようになったのは翌1970年の第2回からである[2]。当初は11月末に東京競馬場の芝1800mで4歳(現3歳)以上の別定重量の競走として、1980年までクモハタ記念の前哨戦および有馬記念へと繋がる競走として施行された。
1971年からは混合競走に指定され外国産馬の出走が可能になり、1981年からは施行場を現在の中山競馬場に変更、1984年からはグレード制施行によりGIIIに格付けられると同時に、施行距離を芝外回り1600mに変更した。しかし同時に混合競走から除外され、外国産馬の出走が不可能になった。
1990年からは施行時期を現在の春季へ変更したことに伴い、出走資格を5歳(現4歳)以上に変更、さらに施行距離を芝外回り1200mに変更。6月初頭に行われる安田記念へと繋がる競走へと変わり、京王杯スプリングカップの前哨戦として位置付けが変わった。また、混合競走に再び指定され、外国産馬の出走が可能になった。
1995年のみ指定交流競走に指定され、地方競馬所属馬も3頭まで出走可能であった。翌1996年からは安田記念へと繋がる競走の意味合いを高めるため、施行距離を芝外回り1600mに変更するも、指定交流競走からは除外された(ただし、地方所属の騎手がJRA所属の競走馬に騎乗することは可能)。2002年からは負担重量をハンデキャップに変更、2006年からは国際競走に指定された。
安田記念の前哨戦のひとつだが、ハンデキャップ競走であるため、有力馬は3週間後に京都競馬場で施行されるマイラーズカップや5月に東京競馬場で施行される京王杯スプリングカップで始動する傾向があり、出走メンバーはこれらの2競走に比べると劣るとされ、2010年の本競走勝ち馬ショウワモダンが当年の安田記念でも優勝したのが、初めて本競走の勝ち馬による同一年の安田記念優勝であった(但し直行ではなくオープン特別のメイステークスを挟んでの安田記念出走)。
年またぎで安田記念を制した例としてはショウワモダン以外にもスズパレード・ブラックホーク・ダイワメジャーがあり、ブラックホークは2001年に、ダイワメジャーは2007年に安田記念で優勝している。
サクラバクシンオーは1200m時代の唯一のGI勝ち馬である。
現在の優勝レイの配色は、青色地に銀色文字となっている。
出走資格はサラ系4歳(旧5歳)以上で、施行日当日の1週前から過去1年前までの期間内に1回以上出走のJRA所属の競走馬および外国調教馬(8頭まで)。
負担重量はハンデキャップである。

歴史

1969年 - 東京競馬場の芝1800mの4歳(現3歳)以上の別定の重賞競走、ダービー卿チャレンジトロフィーとして創設。この年のみ騎手招待競走として施行。
1971年 - 混合競走に指定。
1974年 - 郷原洋行が騎手として史上初の連覇。
1981年 - 施行場を中山競馬場の芝1800mに変更。
1984年 - グレード制施行によりGIIIに格付け。施行距離を芝外回り1600mに変更。混合競走から除外。
1986年 - スズパレードが史上初の連覇。蛯沢誠治が騎手として2人目の連覇。富田六郎が調教師として史上初の連覇。
1988年 - ウインドストースが2頭目の連覇。加藤和宏が騎手として3人目の連覇。二本柳俊夫が調教師として2人目の連覇。
1990年 - 開催時期を3月に変更。それに伴い、出走資格も「5歳(現4歳)以上」に変更。施行距離を芝外回り1200mに変更。混合競走に再び指定。
1993年 - トモエリージェントが3頭目の連覇。根本康広が騎手として4人目の連覇。
1995年 - 当年のみ、指定交流競走に指定され、地方所属馬は3頭まで出走可能となる。
1996年 - 施行距離を芝外回り1600mに変更。
2001年 - 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「5歳以上」から「4歳以上」に変更。
1999年NHKマイルカップ馬シンボリインディが発走前にゲート内で暴れて、右下腿骨開放骨折を起こし発走除外、予後不良となる。
2002年 - 負担重量をハンデキャップに変更。藤田伸二が騎手として4人目の連覇。
2006年 - 混合競走から国際競走に変更され、外国調教馬は4頭まで出走可能となる。
2007年 - 日本のパートI国昇格に伴い、外国調教馬の出走枠が8頭に拡大。
2011年 - 中山競馬場で4月3日施行予定が、東日本大震災の影響により中山競馬場が開催中止となったため、同日の阪神競馬場の芝外回り1600mで施行された。大阪杯と同時開催となり、当競走は最終レース(12レース)に組み込まれた。

過去20年歴代優勝馬

回数 施行日 優勝馬 性齢 タイム 優勝騎手 管理調教師 馬主
第27回 1995年4月2日 オギティファニー 牝4 1:10.0 坂本勝美 富田六郎 (株)荻伏牧場レーシング・クラブ
第28回 1996年4月6日 フジノマッケンオー 牡5 1:33.4 岡部幸雄 中村好夫 中村寛俊
第29回 1997年4月5日 ロイヤルスズカ 牡5 1:35.5 南井克巳 橋田満 永井啓弐
第30回 1998年4月11日 ブラックホーク 牡4 1:34.3 岡部幸雄 国枝栄 金子真人
第31回 1999年4月10日 ケイワンバイキング 騸6 1:33.4 横山賀一 奥平真治 北村和哉
第32回 2000年4月2日 フサイチエアデール 牝4 1:33.0 武豊 松田国英 関口房朗
第33回 2001年4月1日 チェックメイト 牡6 1:35.2 藤田伸二 山内研二 深見富朗
第34回 2002年3月31日 グラスワールド 牡6 1:32.4 藤田伸二 鈴木勝美 半沢(有)
第35回 2003年4月6日 ダンツジャッジ 牡4 1:33.9 和田竜二 山内研二 山元哲二
第36回 2004年4月4日 マイネルモルゲン 牡4 1:33.4 後藤浩輝 堀井雅広 (株)サラブレッドクラブ・ラフィアン
第37回 2005年4月3日 ダイワメジャー 牡4 1:32.3 柴田善臣 上原博之 大城敬三
第38回 2006年4月2日 グレイトジャーニー 牡5 1:32.4 佐藤哲三 池江泰郎 (有)ノースヒルズマネジメント
第39回 2007年4月1日 ピカレスクコート 牡5 1:33.1 秋山真一郎 池江泰寿 金子真人ホールディングス(株)
第40回 2008年4月6日 サイレントプライド 牡5 1:34.2 横山典弘 国枝栄 (有)社台レースホース
第41回 2009年4月5日 タケミカヅチ 牡4 1:33.7 柴田善臣 大江原哲 (有)社台レースホース
第42回 2010年4月4日 ショウワモダン 牡6 1:34.3 後藤浩輝 杉浦宏昭 山岸桂市
第43回 2011年4月3日 ブリッツェン 牡5 1:33.3 柴田善臣 二ノ宮敬宇 広尾レース(株)
第44回 2012年4月1日 ガルボ 牡5 1:33.5 石橋脩 清水英克 石川一義
第45回 2013年3月31日 トウケイヘイロー 牡4 1:32.6 松岡正海 清水久詞 木村信彦
第46回 2014年4月6日 カレンブラックヒル 牡5 1:34.6 秋山真一郎 平田修 鈴木隆司

最終更新:2015年02月09日 17:52