安田記念(G1)


主催者

日本中央競馬会

競馬場

    東京競馬場

創設

1951年7月1日

距離

芝1600m

格付け

GI

賞金

1着賞金1億円

出走条件

サラブレッド系3歳以上(国際)(指定)

負担重量

定量(3歳54kg、4歳以上58kg、牝馬2kg減)


安田記念(やすだきねん)は、日本中央競馬会(JRA)が東京競馬場の芝1600メートルで施行する中央競馬の重賞(GI)競走である。農林水産大臣賞が正賞となっているため、正式名称は農林水産省賞典安田記念と表記される。競走名は日本中央競馬会初代理事長・安田伊左衛門の功績を称えることから付けられている。


概要

1951年、競馬法の制定や東京優駿大競走(日本ダービー)の創設など日本競馬の発展に尽力した日本中央競馬会初代理事長・安田伊左衛門の功績を称え4歳(現3歳)以上のハンデキャップの重賞競走安田賞として創設、第1回は東京競馬場の芝1600mで施行された。1951年当時としては古馬の重賞は全て2000m以上で開催されており、古馬が出走可能なマイルの重賞はこの安田賞が初となる。個人名を冠した重賞競走も日本初であった。
1958年、安田が5月18日に死去したため名称を現在の安田記念に変更。1960年からは施行距離を芝1800mに変更したが1962年には芝1600mに戻した。1967年は東京競馬場の改修工事により中山競馬場の芝外回り1600mで施行、1972年は流行性の馬インフルエンザの影響により1ヶ月遅れの7月23日に施行した。
1984年からはグレード制施行に伴い最高位のGIに格付けされ、方式にもいくつかの変更が加えられた。施行時期を優駿牝馬(オークス)の前週に移設(これに伴い出走資格も5歳(現4歳)以上に変更)、負担重量を定量に変更、更に混合競走に指定され外国産馬の出走が可能になった。これにより春のマイル最強馬決定戦として位置付けられ、同年に新設された秋のマイルチャンピオンシップとマイル最高峰の双璧を成す競走として施行される事になる。
1993年からは国際競走に指定され外国調教馬が出走可能になり、更に1995年からは指定競走に指定、地方所属馬が出走可能になった。1996年からは施行時期を東京優駿(日本ダービー)の翌週に移設されたことにより再び出走資格を4歳(現3歳)以上に変更。2004年からは国際セリ名簿基準作成委員会により国際グレードのGIに格付け、2005年からは香港ジョッキークラブとの提携でアジアマイルチャレンジを構成した(2011年を最後に休止)。
創設当初はそれほど重要視された重賞競走ではなく、ハンデキャップ競走として施行されていた。実際、1983年までの日本競馬界は長距離重賞最優遇の時代であり、血統の都合などから長距離適性がない短中距離馬にとってはあまりにも不遇の時代であった。1600m以下の重賞は番組形態も整理されておらず、重賞がポツポツと年間カレンダーに点在する状況だった。また賞金額に関しても短距離戦は安く抑えられており、1983年の当競走の優勝賞金は3200万円と他の長距離重賞に比べて安めに設定されていた。この事からも当時の短中距離馬の冷遇ぶりは伺える。それでも春季の締め、東京競馬春開催最終日のメインレースとして行われる当競走は当時の美浦所属である一線級の短中距離馬が揃う名物レースであり、短距離重賞が一時的に整理される前年の1980年までは古馬が出走可能な1600m以下の短距離重賞競走では最大の賞金額を誇った。1983年までは年によって前後はあるものの、基本的に東京優駿の2週間後、宝塚記念の翌週。東京競馬上半期最終日の掉尾を飾る重賞として行われていた。
しかしこの状況も1984年のグレード制施行により大きく変わる。短距離路線の番組形態が整理されるとともに、当競走については最高格のGIに格付けされたことに伴い斤量を定量に変更。優勝賞金を5000万円に大幅増額。名実ともに日本の春のマイル最強馬決定戦となる。その後、国際レース化され2004年には国際グレードのGIに格付け、2005年からはアジアマイルチャレンジを構成したため香港マイルやドバイデューティーフリーと並ぶアジアのマイル最強馬決定戦として定着。日本で最も歴史と伝統があり、最も格の高いマイル重賞として世界的にも知られる事になる。国内のマイラーのみならずスプリンター、中長距離馬にとっても栄誉の一戦であり宝塚記念と共に春の最強馬を占うレースとして君臨する事になった。現在では、「春の東京GI5連戦」のラストを飾るレースである。
秋の天皇賞や秋華賞、エリザベス女王杯、ジャパンカップが直近にあるマイルチャンピオンシップと違い春季は中距離のGIレースが無く6月下旬開催の宝塚記念は梅雨時である事を嫌い、中長距離馬であっても特に重馬場を苦手とする馬は安田記念を春の最大目標とする陣営が多くなってきている。故に短中長距離の一線級の豪華メンバーが一堂に集う事が多い。そのためJRAのGIレースの中でも大きい注目を集めるレースの1つである。売上規模も有馬記念、日本ダービー、天皇賞、ジャパンカップ、皐月賞に次ぐ規模であり例年160億円前後を売り上げる。また、アジアマイルチャレンジの最終戦となった事により(現在は休止)世界的にも注目されるレースとなり、香港やUAEなど海外から有力馬が多く遠征している。外国調教馬ではハートレイク(1995年、UAE調教馬)、フェアリーキングプローン(2000年)、ブリッシュラック(2006年、ともに香港調教馬)が本競走に優勝した。
直線の長い東京コースで行われるマイルGIということもありスピードだけでなく相応のスタミナも要求される。歴代の優勝馬にもギャロップダイナ、オグリキャップ、ウオッカなど中長距離の重賞の優勝経験を持つ馬が多い。秋の同じ距離で行われるマイルチャンピオンシップとは対照的に1番人気がかなり不振であることも特徴的で、1992年以降馬番連勝複式馬券で万馬券が10回飛び出すなどかなり波乱の様相が出ている。
上述の通り、1984年にGI格付けされて以降は施行時期の変更に伴い3歳馬の出走が不可となっていたが、再度施行時期が移設された1996年に再び出走可能になった。同じ競馬場・距離で行われるNHKマイルカップから中3週で斤量が同競走よりも3kg軽い(NHKマイルカップは牡馬57kg、牝馬2kg減)という有利な条件ではあるものの、東京優駿を最大目標にする陣営が多いことから当競走への出走自体が少なく、2011年のリアルインパクトは59年ぶりの3歳馬の優勝(GI格付け以降では初V)であった。
現在の優勝レイの配色は、赤色地に金色文字となっている。

出走資格

現在

2014年以降の出走馬選定方法は以下のとおり。出走枠は18頭まで。
原則サラ系3歳(旧4歳)以上のJRA所属の競走馬及び本競走に出走登録した外国調教馬(9頭まで)。
JRA所属競走馬は、以下の順で出走馬を決定する(地方馬で2歳馬競走を除くGI競走1着に入った馬も含む)。
レーティング順位の上位5頭に対しては優先出走が認められる(牡馬・セン馬は110ポンド、牝馬は106ポンド以上であることが条件)。
その他の競走馬は「通算の収得賞金」+「過去1年間の収得賞金」+「過去2年間のGI(JpnI)競走の収得賞金」の総計が多い順に出走できる。
地方競馬所属馬は以下の競走のいずれかで所定の成績をあげると本競走に出走できる。
4歳以上
競走名 格付 施行競馬場 施行距離 必要な地方馬の着順 備考
高松宮記念 GI 日本の旗中京競馬場 芝1200m 1・2着
マイラーズカップ GII 日本の旗京都競馬場 芝・外1600m 本競走のステップ競走指定
中央・地方の所属を問わずに、1着で優先出走権を付与(2014年から)
※谷川岳Sは除く。
谷川岳ステークス オープン 新潟競馬場 芝・外1600m 1着
京王杯スプリングカップ GII 日本の旗東京競馬場 芝1400m 1・2着
ヴィクトリアマイル GI 日本の旗東京競馬場 芝1600m 牝馬限定
3歳
競走名 格付 施行競馬場 施行距離 必要な地方馬の着順 備考
ニュージーランドトロフィー GII 日本の旗中山競馬場 芝・外1600m 1・2着 本競走のステップ競走指定
橘ステークス オープン 京都競馬場 芝・外1400m 1着
NHKマイルカップ GI 日本の旗東京競馬場 芝1600m 1・2着
この方式になってからは優先出走順位をめぐって以下の状況が出ている。
2012年に出走したペルーサは収得賞金順で19番目であり、本来は除外の対象となっていたのだがレーティング値が登録馬中トップの120(前年の天皇賞3着)と評価され、優先的に出走が可能となった。一方、この影響でショウナンマイティが直近の重賞競走(大阪杯)を勝っていながら優先順位が19番目となり、本競走除外の憂き目に遭った(同週の鳴尾記念に変更)。
そのショウナンマイティは翌2013年にも登録したが、収得賞金順が20番目でありまたも除外の可能性があった。しかし、発表されたレーティングが登録馬中3番目の119(前年の宝塚記念3着)と評価されたことでこの年は優先出走が認められた[2]上に2着となった。

以前

2011年の出走資格は以下のとおり。
基本はサラ系3歳(旧4歳)以上のJRA所属の競走馬及び本競走に出走登録した外国調教馬(9頭まで)。
地方所属馬は当年のマイラーズカップ・京王杯スプリングカップ・ニュージーランドトロフィー・高松宮記念・NHKマイルカップ・ヴィクトリアマイル、海外で実施されたアジアマイルチャレンジのいずれかの競走で1着・2着の入賞馬及び谷川岳ステークス(2011年まで)・葵ステークス(2009年まで)・橘ステークス(2010年から)の1着馬は出走権(優先出走権ではない)で出走できる。
JRA所属馬は出走登録馬のレーティング順位の上位5頭に優先出走権が与えられる(ただし同年に実施されたアジアマイルチャレンジ対象競走で2着以内に入着したJRA所属馬は上記よりも最優先で出走できる)。
残りは通算の収得賞金と前年の安田記念開催節から6月1日までの収得賞金算入額の合計が多い順で出走権が与えられる。

負担重量

定量で3歳は54kg、4歳以上は58kg、牝馬は2kg減である。
第1〜33回はハンデキャップ。第34〜45回は57kg・牝馬2kg減・南半球産4歳馬1kg減だった。

賞金

2014年の1着賞金は1億円で、以下2着4000万円、3着2500万円、4着1500万円、5着1000万円。

歴史

1951年 - 東京競馬場の芝1600mの4歳(現3歳)以上のハンデキャップの重賞競走、安田賞として創設。
1958年 - 名称を現在の安田記念に変更。
1960年 - 施行距離を芝1800mに変更。前年の9月1日から日本競馬の時計表示が変更になったのに伴い、時計が1/5秒表示から1/10秒表示に変更。
1962年 - 施行距離を芝1600mに戻す。
1967年 - 東京競馬場の改修工事により中山競馬場の芝外回り1600mで施行。
1972年 - 流行性の馬インフルエンザの影響で7月に順延開催。
1984年 - グレード制施行によりGIに格付け。1着賞金は3200万円から5000万円に増額。
施行時期をオークスの前週に移設されたことにより、出走条件が「4歳(現3歳)以上」から「5歳(現4歳)以上」に変更。負担重量を定量に変更(負担斤量は牡馬・騸馬は57kg、牝馬は55kgに設定)。混合競走に指定。農林水産省賞典の副称が付く。当競走で史上最多の22頭が出走。
1990年 - 元地方笠松所属のオグリキャップがJRA転厩馬として史上初の制覇。
1993年 - 混合競走から国際競走に変更され、外国調教馬は5頭まで出走可能となる。
1995年 - 指定交流競走に指定され、地方所属馬にも門戸が開かれる。アラブ首長国連邦のハートレイクが外国調教馬として初制覇。
1996年 - 施行時期を日本ダービーの翌週に移設されたことにより、出走条件が「5歳(現4歳)以上」から「4歳(現3歳)以上」に変更(4歳(現3歳)の負担斤量は牡馬・騸馬は54kg、牝馬は52kgに設定)。
5歳(現4歳)以上の負担斤量が牡馬・騸馬57kg、牝馬55kgから牡馬・騸馬58kg、牝馬56kgに変更。
元地方浦和所属のトロットサンダーがJRA転厩馬として史上2頭目の制覇。
1998年 - 藤沢和雄が調教師として史上2人目の連覇。異なる馬での連覇は史上初。
2000年 - イーグルカフェが当年のNHKマイルカップ優勝馬として史上初の出走。
香港のフェアリーキングプローンが外国調教馬として2頭目の制覇。また2着にはディクタットが入り、初の外国調教馬のワンツー。
2001年 - 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「4歳以上」から「3歳以上」に変更。
2004年 - 国際セリ名簿基準作成委員会より国際GIに指定。安藤勝己が地方競馬出身の騎手として史上初の優勝。
2005年 - 外国調教馬の出走枠が9頭に拡大。アジアマイルチャレンジに参加。
2006年 - 香港のブリッシュラックが外国調教馬として3頭目の制覇。1着賞金が9400万円から1億円に増額。
2008年 - ウオッカが日本ダービー優勝馬として初制覇。
2009年 - ウオッカが史上3頭目の連覇。また2着にはディープスカイが入り、初の2世代日本ダービー優勝馬のワンツー。1981年マイラーズカップ(カツラノハイセイコ・オペックホース)以来、28年ぶり2度目となるダービー馬によるマイル対決となった。
2011年 - リアルインパクトが3歳馬として59年ぶり、GI格付け以降での初制覇を記録。また、グレード制施行後としては史上初となる1勝馬の古馬GIを制覇。大井所属の戸崎圭太が地方競馬出身の騎手としては5人目の中央GI制覇。
2012年 - アジアマイルチャレンジが一時中止。ストロングリターンが1分31秒3のコースレコードで優勝すると同時に、ダノンシャンティが持っていた日本レコードを0秒1更新。
2013年 - ロードカナロアが優勝し、現行のGI競走スケジュールになって以降、3月の高松宮記念と合わせて春のスプリント・マイルGI競走を初めて連勝した馬となった。

歴代優勝馬

回数 施行日 競馬場 距離 調教国・優勝馬 性齢 タイム 優勝騎手 管理調教師 馬主[要出典]
第1回 1951年7月1日 東京 1600m イツセイ 牡3 1:38 0/5 保田隆芳 尾形藤吉 岩崎利明
第2回 1952年7月6日 東京 1600m スウヰイスー 牝3 1:39 0/5 保田隆芳 松山吉三郎 高峰三枝子
第3回 1953年6月14日 東京 1600m スウヰイスー 牝4 1:38 1/5 保田隆芳 尾形藤吉 鈴木健之
第4回 1954年6月6日 東京 1600m フソウ 牡5 1:41 2/5 高橋英夫 鈴木信太郎 中村正行
第5回 1955年6月12日 東京 1600m クリチカラ 牡5 1:38 4/5 森安弘明 尾形藤吉 栗林友二
第6回 1956年6月10日 東京 1600m ヨシフサ 牡4 1:38 2/5 渡辺正人 中村広 岡田吉信
第7回 1957年6月9日 東京 1600m ヘキラク 牡4 1:38 4/5 蛯名武五郎 藤本冨良 浅井礼三
第8回 1958年6月1日 東京 1600m ラプソデー 牡4 1:37 2/5 坂本栄三郎 小西喜蔵 椎野浅五郎
第9回 1959年6月7日 東京 1600m ヒシマサル 牡4 1:37 3/5 小野定夫 矢野幸夫 阿部雅信
第10回 1960年6月5日 東京 1800m オンワードベル 牡4 1:50.2 高橋英夫 二本柳俊夫 樫山純三
第11回 1961年6月11日 東京 1800m ホマレボシ 牡5 1:49.7 八木沢勝美 稗田敏男 川口文子
第12回 1962年6月10日 東京 1600m トウコン 牡4 1:38.3 山岡忞 矢野幸夫 塩飽望
第13回 1963年6月2日 東京 1600m ヤマノオー 牡4 1:36.6 森安弘明 内藤潔 山口米吉
第14回 1964年6月7日 東京 1600m シモフサホマレ 牡5 1:37.2 油木宣夫 矢野幸夫 遠田光子
第15回 1965年6月6日 東京 1600m パナソニツク 牝5 1:37.6 嶋田功 稲葉幸夫 那須野牧場
第16回 1966年6月5日 東京 1600m ヒシマサヒデ 牡4 1:39.5 小野定夫 稗田敏男 阿部雅信
第17回 1967年5月21日 中山 1600m ブツシヤン 牡5 1:36.3 大和田稔 二本柳俊夫 河野魁
第18回 1968年6月30日 東京 1600m シエスキイ 牡5 1:36.7 郷原洋行 大久保房松 小林庄平
第19回 1969年6月1日 東京 1600m ハードウエイ 牝4 1:35.9 加賀武見 柄崎義信 鈴木健司
第20回 1970年5月31日 東京 1600m メジロアサマ 牡4 1:35.9 矢野一博 保田隆芳 北野豊吉
第21回 1971年6月20日 東京 1600m ハーバーゲイム 牝4 1:36.8 野平祐二 野平省三 小川乕三
第22回 1972年7月23日 東京 1600m ラファール 牝4 1:38.4 中島啓之 奥平真治 高木美典
第23回 1973年6月10日 東京 1600m ハクホオショウ 牡4 1:35.7 伊藤正徳 尾形藤吉 西博
第24回 1974年6月9日 東京 1600m キョウエイグリーン 牝5 1:35.7 東信二 境勝太郎 松岡正雄
第25回 1975年6月8日 東京 1600m サクライワイ 牝4 1:36.6 小島太 高木良三 (株)さくらコマース
第26回 1976年6月13日 東京 1600m ニシキエース 牡5 1:36.6 森安重勝 森安弘昭 小林清
第27回 1977年6月12日 東京 1600m スカッシュソロン 牝4 1:35.1 横田吉光 古賀嘉蔵 飯田正
第28回 1978年6月11日 東京 1600m ニッポーキング 牡5 1:35.1 郷原洋行 久保田金造 山石祐一
第29回 1979年6月10日 東京 1600m ロイヤルシンザン 牡4 1:35.7 的場均 大久保房松 鄭恩植
第30回 1980年6月8日 東京 1600m ブルーアレツ 牡5 1:36.0 嶋田功 見上恒芳 佐野済
第31回 1981年6月7日 東京 1600m タケデン 牡6 1:36.7 増沢末夫 元石孝昭 武市伝一
第32回 1982年6月13日 東京 1600m スイートネイティブ 牝5 1:35.0 岡部幸雄 野平祐二 和田共弘
第33回 1983年6月12日 東京 1600m キヨヒダカ 牡5 1:35.8 増沢末夫 森安弘昭 清峯隆
第34回 1984年5月13日 東京 1600m ハッピープログレス 牡6 1:37.8 田原成貴 山本正司 藤田晋
第35回 1985年5月12日 東京 1600m ニホンピロウイナー 牡5 1:35.1 河内洋 服部正利 小林百太郎
第36回 1986年5月11日 東京 1600m ギャロップダイナ 牡6 1:35.5 柴崎勇 矢野進 (有)社台レースホース
第37回 1987年5月17日 東京 1600m フレッシュボイス 牡4 1:35.7 柴田政人 境直行 円城和男
第38回 1988年5月15日 東京 1600m ニッポーテイオー 牡5 1:34.2 郷原洋行 久保田金造 山石祐一
第39回 1989年5月14日 東京 1600m バンブーメモリー 牡4 1:34.3 岡部幸雄 武邦彦 竹田辰一
第40回 1990年5月13日 東京 1600m オグリキャップ 牡5 1:32.4 武豊 瀬戸口勉 近藤俊典
第41回 1991年5月12日 東京 1600m ダイイチルビー 牝4 1:33.8 河内洋 伊藤雄二 辻本春雄
第42回 1992年5月17日 東京 1600m ヤマニンゼファー 牡4 1:33.8 田中勝春 栗田博憲 土井肇
第43回 1993年5月16日 東京 1600m ヤマニンゼファー 牡5 1:33.5 柴田善臣 栗田博憲 土井肇
第44回 1994年5月15日 東京 1600m ノースフライト 牝4 1:33.2 角田晃一 加藤敬二 (有)大北牧場
第45回 1995年5月14日 東京 1600m ハートレイク 牡4 1:33.2 武豊 S.スルール ゴドルフィン
第46回 1996年6月9日 東京 1600m トロットサンダー 牡7 1:33.1 横山典弘 相川勝敏 藤本照男
第47回 1997年6月8日 東京 1600m タイキブリザード 牡6 1:33.8 岡部幸雄 藤沢和雄 (有)大樹ファーム
第48回 1998年6月14日 東京 1600m タイキシャトル 牡4 1:37.5 岡部幸雄 藤沢和雄 (有)大樹ファーム
第49回 1999年6月13日 東京 1600m エアジハード 牡4 1:33.3 蛯名正義 伊藤正徳 (株)ラッキーフィールド
第50回 2000年6月4日 東京 1600m フェアリーキングプローン 騸5 1:33.9 R.フラッド I.アラン 劉錫康
第51回 2001年6月3日 東京 1600m ブラックホーク 牡7 1:33.0 横山典弘 国枝栄 金子真人
第52回 2002年6月2日 東京 1600m アドマイヤコジーン 牡6 1:33.3 後藤浩輝 橋田満 近藤利一
第53回 2003年6月8日 東京 1600m アグネスデジタル 牡6 1:32.1 四位洋文 白井寿昭 渡辺孝男
第54回 2004年6月6日 東京 1600m ツルマルボーイ 牡6 1:32.6 安藤勝己 橋口弘次郎 鶴田任男
第55回 2005年6月5日 東京 1600m アサクサデンエン 牡6 1:32.3 藤田伸二 河野通文 田原源一郎
第56回 2006年6月4日 東京 1600m ブリッシュラック 騸7 1:32.6 B.プレブル A.クルーズ W.ウォン
第57回 2007年6月3日 東京 1600m ダイワメジャー 牡6 1:32.3 安藤勝己 上原博之 大城敬三
第58回 2008年6月8日 東京 1600m ウオッカ 牝4 1:32.7 岩田康誠 角居勝彦 谷水雄三
第59回 2009年6月7日 東京 1600m ウオッカ 牝5 1:33.5 武豊 角居勝彦 谷水雄三
第60回 2010年6月6日 東京 1600m ショウワモダン 牡6 1:31.7 後藤浩輝 杉浦宏昭 山岸桂市
第61回 2011年6月5日 東京 1600m リアルインパクト 牡3 1:32.0 戸崎圭太 堀宣行 (有)キャロットファーム
第62回 2012年6月3日 東京 1600m ストロングリターン 牡6 1:31.3 福永祐一 堀宣行 吉田照哉
第63回 2013年6月2日 東京 1600m ロードカナロア 牡5 1:31.5 岩田康誠 安田隆行 (株)ロードホースクラブ
第64回 2014年6月8日 東京 1600m ジャスタウェイ 牡5 1:36.8 柴田善臣 須貝尚介 大和屋暁

安田記念の記録

レースレコード - 1:31.3(第62回優勝馬ストロングリターン)
2着との最大着差 - 6馬身(第15回優勝馬パナソニツク・第28回優勝馬ニッポーキング)
最多優勝騎手 - 岡部幸雄 4回(第32、39、47、48回)
最多連続優勝騎手 - 保田隆芳 3連覇(第1~3回)
最多勝調教師 - 尾形藤吉 4勝(第1、3、5、23回)
1番人気馬の単勝最高支持率 - 59.6%(第49回グラスワンダー)
1番人気馬の単勝最低支持率 - 12.05%(第62回サダムパテック、1番人気馬の単勝支持率としてはグレード制が導入された1984年以降最も低い)



最終更新:2015年02月09日 17:59