皐月賞(G1)



主催者

  日本中央競馬会

競馬場

   中山競馬場

創設

  1939年4月29日

距離

  芝2000m

格付け

  GI

賞金

  1着賞金9700万円

出走条件

  サラブレッド系3歳牡・牝(国際)(指定)

負担重量

  定量(牡馬57kg、牝馬55kg)

皐月賞(さつきしょう)は、日本中央競馬会(JRA)が中山競馬場の芝2000メートルで施行する中央競馬の重賞競走(GI)である。競走名は陰暦の5月を表す「皐月」に由来している。


概要

1939年に当時の日本競馬会がイギリスのクラシック競走である2000ギニーを範として[3]4歳(現3歳)牡馬・牝馬限定の競走「横浜農林省賞典四歳呼馬(よこはまのうりんしょうしょうてんよんさいよびうま)」を創設。第1回は横浜競馬場の芝1850メートルで施行された。東京優駿競走・阪神優駿牝馬・京都農林省賞典四歳呼馬・中山四歳牝馬特別と並ぶ「五大特殊競走」(五大クラシック競走)の1競走と位置づけられ、東京優駿競走・京都農林省賞典四歳呼馬とともに日本のクラシック三冠競走を確立した。
1943年からは横浜競馬場の閉鎖に伴い東京競馬場の芝1800メートルで施行、1944年は太平洋戦争の影響により「農商省賞典四歳」の名称で能力検定競走として施行したが、1945年は中止された。
終戦後の1947年から名称を「農林省賞典」に変更。1949年から施行場を中山競馬場の芝1950メートルに変更し名称を「皐月賞」に変更、翌1950年から再び施行距離を芝2000メートルに戻し、現在に至っている。
1995年からは指定交流競走とされ、所定の条件を満たした地方所属馬も出走できるようになったほか、2002年からは外国産馬も出走可能となった。
旧八大競走の1つであり、東京優駿(日本ダービー)・菊花賞とあわせて中央競馬の3歳三冠競走を構成する。東京優駿は「最も運のある馬が勝つ」、菊花賞は「最も強い馬が勝つ」と称されるのに対し、皐月賞は「最もはやい馬が勝つ」と言われる。

出走資格

サラ系3歳(旧4歳)の牡馬・牝馬
JRA所属馬(外国産馬含む)
地方競馬所属馬(本競走への優先出走権を獲得した牝馬及びJRAのGI競走1着馬)
外国調教馬(外国産馬と合わせて9頭まで)
出走制限頭数は最大18頭。未出走馬・未勝利馬は出走できない。
以下のトライアル競走で所定の着順に入った場合は、優先出走できる(最大8頭)。

トライアル競走

弥生賞 GII 日本の旗中山競馬場 芝2000m 国際競走 3着以内
若葉ステークス オープン 阪神競馬場 芝2000m 指定競走 2着以内
スプリングステークス GII 日本の旗中山競馬場 芝1800m 牡馬牝馬限定・国際競走 3着以内
なお皐月賞は未勝利馬(収得賞金が0の馬)に出走権はないため、未出走馬および未勝利馬が上記のトライアル競走に出走して皐月賞の出走権を得るには、収得賞金獲得圏内(弥生賞・スプリングステークスは2着、若葉ステークスは1着)に入る必要がある。
残りの枠(最低10頭)は通常の収得賞金の総計が多い順に出走できる(残る1枠が複数の同収得金額馬だった場合は抽選で出走馬が決まる)。
地方馬は上記のトライアル競走3競走で優先出走権を得た馬、もしくは阪神ジュベナイルフィリーズと朝日杯フューチュリティステークスの1着馬およびJRAの芝の3歳重賞で優勝した馬に出馬投票の権利が与えられ、JRA所属馬も含めた収得賞金順で出走することができる。

負担重量

定量(57kg、牝馬2kg減)
第1回は牡馬55kg、牝馬53kg。第2回 - 第6回は牡馬57kg、牝馬55.5kg。

賞金

2014年の1着賞金は9700万円で、以下2着3900万円、3着2400万円、4着1500万円、5着970万円。

歴史

1939年 - 横浜競馬場の芝1850mで「横浜農林省賞典四歳呼馬」として創設。
1943年 - 施行場を東京競馬場の芝1800mに変更。
1944年 - 名称を「農商省賞典四歳」に変更し、馬券発売を行わない能力検定競走として行う。
1945年 - 太平洋戦争の影響で中止。
1947年 - 名称を「農林省賞典」に変更し、距離を芝2000mに変更。
1949年 - 名称を「皐月賞」に変更し、施行場を中山競馬場の芝1950mに変更。
1950年 - 施行距離を芝2000mに戻す。
1972年 - 流行性馬インフルエンザの影響で、5月最終週に順延して施行。
1984年 - グレード制導入、GIに格付け。
1995年 - 指定交流競走となり、地方所属馬も出走が可能に。
2001年 - 馬齢表示が国際基準へ変更されたことに伴い、出走条件が「4歳牡馬・牝馬」から「3歳牡馬・ 牝馬」に変更。
2002年 - 外国産馬が2頭まで出走可能となる。
2007年 - 格付け表記をJpnIに変更。
2010年
国際競走に指定。外国調教馬・外国産馬を合わせて最大9頭まで出走可能となる。
格付け表記をGIに戻す。
2014年 - 「JRA60周年記念」の副称を付けて施行。

過去20年歴代優勝馬


回数  施行日    競馬場  距離  優勝馬     性齡   タイム  優勝騎手    管理調教師  場主

第54回 1994年4月17日 中山 2000m ナリタブライアン 牡3 1:59. 南井克巳 大久保正陽 山路秀則
第55回 1995年4月16日 中山 2000m ジェニュイン 牡3   2:02.5 岡部幸雄 松山康久 (有)社台レースホース
第56回 1996年4月14日 中山 2000m イシノサンデー   牡3 2:00.7 四位洋文 山内研二 (株)イシジマ
第57回 1997年4月13日 中山 2000m サニーブライアン 牡3 2:02.0 大西直宏 中尾銑治 宮崎守保
第58回 1998年4月19日 中山 2000m セイウンスカイ   牡3 2:01.3 横山典弘 保田一隆 西山正行
第59回 1999年4月18日 中山 2000m テイエムオペラオー 牡3 2:00.7 和田竜二 岩元市三 竹園正繼
第60回 2000年4月16日 中山 2000m エアシャカール   牡3 2:01.8 武豊 森秀行 (株)ラッキーフィールド
第61回 2001年4月15日 中山 2000m アグネスタキオン 牡3 2:00.3 河内洋 長浜博之 渡辺孝男
第62回 2002年4月14日 中山 2000m ノーリーズン   牡3 1:58.5 B.ドイル 池江泰郎 前田晋二
第63回 2003年4月20日 中山 2000m ネオユニヴァース 牡3 2:01.2 M.デムーロ 瀬戸口勉 (有)社台レースホース
第64回 2004年4月18日 中山 2000m ダイワメジャー 牡3 1:58.6 M.デムーロ 上原博之 大城敬三
第65回 2005年4月17日 中山 2000m ディープインパクト 牡3 1:59.2 武豊 池江泰郎 金子真人
第66回 2006年4月16日 中山 2000m メイショウサムソン 牡3 1:59.9 石橋守 瀬戸口勉 松本好雄
第67回 2007年4月15日 中山 2000m ヴィクトリー 牡3 1:59.9 田中勝春 音無秀孝 近藤英子
第68回 2008年4月20日 中山 2000m キャプテントゥーレ 牡3 2:01.7 川田将雅 森秀行 (有)社台レースホース
第69回 2009年4月19日 中山 2000m アンライバルド 牡3 1:58:7 岩田康誠 友道康夫 (有)サンデーレーシング
第70回 2010年4月18日 中山 2000m ヴィクトワールピサ 牡3 2:00.8 岩田康誠 角居勝彦 市川義美
第71回 2011年4月24日 東京 2000m オルフェーヴル 牡3 2:00.6 池添謙一 池江泰寿 (有)サンデーレーシング
第72回 2012年4月15日 中山 2000m ゴールドシップ 牡3 2:01.3 内田博幸 須貝尚介 小林英一
第73回 2013年4月14日 中山 2000m ロゴタイプ 牡3 1:58.0 M.デムーロ 田中剛 吉田照哉
第74回 2014年4月20日 中山 2000m イスラボニータ   牡3 1:59.6 蛯名正義 栗田博憲 (有)社台レースホース

皐月賞の記録

レースレコード - 1:58.0(第73回)
最多勝騎手 - 3勝
蛯名武五郎(第8回・第13回・第16回)
渡辺正人(第18回 - 第20回)
岡部幸雄(第44回・第46回・第55回)
武豊(第53回・第60回・第65回)
ミルコ・デムーロ(第63回・第64回・第73回)
最多勝調教師 - 4勝
田中和一郎(第3回・第4回・第11回・第15回)


最終更新:2015年02月09日 17:54