ファインマンさんの流儀


「自分で一から創れるものでないと、僕はそいつが理解できないんだ」


これは、ファインマンが最後に黒板に書き残した言葉だそうです。たいていの人は巨人の肩に乗るだけで精一杯なことを考えれば、こういう態度でもノーベル賞を受賞するだけの研究成果をあげ、ベストセラーの教科書とエッセイを書いた彼がいかに優れていたかがわかるというものです。しかし、こういう態度でなければもっと多くのことを成し遂げられたのではないか、という見方もあるようです。ローレンス・M・クラウス『ファインマンさんの流儀』(早川書房, 2012)(参考文献リストあり・索引なし)に次のような話が載っていました。

科学が健全であるためには、すべての科学者が同じことに飛びつかないことが大切で、これこそファインマンが、ほとんど強迫観念と言えるほどまでに注意を集中した点であった。彼は才能に恵まれ、何でもできたので、必要があれば、ほとんどすべての歯車を一から発明しなおすことができたし、その過程で改良までしてしまうことも多かった。とはいっても、歯車を発明しなおすには時間がかかり、その苦労が報われることはめったにないことも確かである。

(中略)

(シドニー・コールマン曰く)実際、とても独創的な人で、偏屈でもないのに、肝心なときに、正しくあることよりも独創的であることにこだわったがために、すばらしい物理の成果を上げられたはずなのに実際にはそこまで行けなかった人間を私は何人も知っています。ディックは多くを自分のものにすることができたはずでした。(p.293)


そのファインマンさんが掛け算を説明すると(「ファインマン先生中学生に物理を語る」より)

「3gの質量の球体が4個あるとき,質量には加法性があるので,その全質量は3+3+3+3で3×4g。計算すると12gだ。では4gの質量の球体が3個あったらどうだろう。その全質量は4+4+4で4×3g。こちらも計算すると12gだ。これが掛け算の交換法則3×4=4×3の意味なのだ。」}

となります。なんて明快なのでしょう。一方で,三流物理学者が掛け算を説明すると

「交換法則を習っていようといまいと3×4=4×3なのです。誰が何と言おうとこれはいつでも成立します。だから3×4も4×3もどっちも同じことです。」

困ったものですね。三流の数学者気取りにいたってはもっとひどいみたいです。ネットを検索するとそのような説明がたくさんヒットします。

最終更新:2014年10月26日 14:32
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