カインとアベルと言うお話の意味

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カインとアベルと言うお話の意味」(2014/11/29 (土) 13:16:54) の最新版変更点

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<p>『カインとアベル』の話、と言えば聖書の物語の中でも特に有名で、知らない人は居ないだろう。<br /> ──と書こうと思ったが、そうとも限らないかもしれないと気付いたので以下簡単に流れを紹介するところから始めよう。</p> <p><br /> 昔々、あるところにカインとアベルという兄弟がおりました。<br /> ある日彼らは神に捧げものをしました。<br /> 兄のカインは畑で採れた新鮮な作物を。<br /> 弟のアベルは大事に育てた子羊を。<br /> しかし神はカインの捧げものには目もくれず、アベルの捧げものだけを受け取りました。<br /> 悔しくて堪らなくなったカインは神が帰った後アベルを呼び出し、殺して埋めてしまいました。<br /> しかしそれはすぐに神の知るところとなります。<br /> カインは弁明の余地もなく、作物を作れない呪いを受け、追放されました。</p> <p><br /> 昔話風に要約すればこんな感じである。<br /> かなりおおざっぱなので、出来れば各自本文(旧約聖書・創世記・第4章)を参照することをお勧めしたい。<br /> 非常に有名なお話なので万一知らないようであれば覚えておいて損はない。<br /> 一応『人類初の殺人事件』ということになっている。聖書的には。</p> <p>さて、このエピソードを読んでどういう感想が出てくるだろうか。<br /> 理不尽な態度を取る神への不満か、<br /> 短絡的なカインの暴挙への非難か。<br /> 初見では、私はどちらかと言えば前者だった。<br /> が、これが神話であるなら何か別の意味があるはずだと思い直した。<br /> そしてさらにその後、ドッペルゲンガーの話を考えるうえで、その類型として見ることができるのではないかと思い至った。<br /> この話を読み解く上で私が注目したのは以下の3点である。</p> <p>1.カインの供物は何故無視されたのか。<br /> 2.供物と死体の処理方法。<br /> 3.カインの末路。</p> <p>順に見ていこう。<br /> まず、何故カインは無視されたのか。<br /> 手元にある聖書の該当箇所を読む限り、ここまでの段階で兄弟の優劣や、まして素行の良し悪しに関する描写はない。<br /> 何の根拠も提示されぬまま、カインは神にシカトを食らっているのである。<br /> 新約聖書でこのような話が出てくる場合大抵は<br /> 「片方が驕った人でもう片方が謙虚な人、神は謙虚な人を選ぶんだよ」<br /> という教えにつながるような教訓話になる。それと比べると、ここまで露骨にいきなり贔屓されるのは不自然でならない。<br /> だから私なりに、カインが無視される自然な理由を考えた。導き出した仮説はこうだ。</p> <p>カインという『人間』はそこに居なかったのではないか?</p> <p>つまり神への供物をささげた人間はアベル一人だったのではないかということだ。<br /> これならば神がアベルにしか目を向けなかったのも当然である。何せその場にアベルしか居ないのだから。<br /> じゃぁそうするとカインはどこ行っちゃったんだよ、となるだろうが、私の答えは「いや、そこに居るよ」である。<br /> 仮説と矛盾する? 否、そんなことはない。<br /> 『カインという人間』はそこに居なかったが『カイン』はそこに居たのだ。<br /> ここを説明するために注目したのが最初に上げた点の2つ目『供物と死体処理方法』である。</p> <p>供物に関しては明確に記述がある。<br /> カインは農作物、アベルは肥えた羊の初子だ。<br /> どちらも手塩にかけて育んだ成果物の中でも最高の品を用意しているはずで、恐らくそこに価値の差はない。<br /> そして死体処理方法だが、これははっきりと書いていない。<br /> ただ、犯行が露呈したときの記述を見るにどうやら土に埋めたようだ。<br /> 以上2つのことからから『カイン』という名が何を指すのかを推測することができる。</p> <p>それは『大地』そのもの、或はこの事件が起こった『地名』である。</p> <p>農作物、つまり大地の実りとは『大地が育んだ成果物』と見ることができる。<br /> 大地=カインと読みかえれば『カインが育てた成果物』となるわけだ。<br /> 神話においては洋の東西に関らず、無生物や事象・天変地異などが擬人化、擬神化される例は枚挙に暇がない。聖書だって例外ではあるまい。<br /> また、こう考えればその後の展開についての謎にも説明がつく。<br /> まず、なぜカインが無視されたか。これは簡単だ。<br /> なぜならそこに『カイン』などという人物は存在しなかったからだ。<br /> 神はこの時、人間によって捧げられたものを受け取りに来たのだからそこに居る唯一の人間であるアベルの相手をするのは当たり前である。<br /> ここで神が考慮を欠いてしまったのは『人だけでなく世界の生きとし生けるもの全てが神を敬い賛美している』という、聖書世界において当たり前の常識だった。<br /> 大地(カイン)は、人間と同じように信仰と意思を持って自ら実らせた作物を捧げたつもりだったのだろう。<br /> しかし、あくまで人間の相手をしていた神は豊かな自然にはとりあえず目を向けず、アベルの供物を取った。<br /> それを蔑ろにされたと感じた大地(カイン)は憤ったわけだ。<br /> ここでカインは大いに憤って顔を伏せたとある。神がカインに目を向けたのはこの時だ。<br /> 何故、神は大地(カイン)が憤っているのに気付いたのか。<br /> 私が思うにこの時、大きな地震が発生したのではないか。<br /> 『顔を伏せた』という動作は怒りの発露を必死に抑え込もうとしている動作であろう。怒りをこらえるとき人は握りしめた拳や丸めた体が震えるものである。つまり同じように怒りに体を震わせたのが大地そのものなら、それは地震という自然現象のことに相違ないはずだ。</p> <p>ここまで考えを勧めればアベルの死因、死体の在処についても納得がいく。<br /> 地震という自然災害が発生したのならば、そこに地割れや土砂崩れが起こるだろうことは簡単に想像がつく。<br /> つまりアベルはこの時おこった地震により被災し、亡くなったのだ。<br /> 土砂崩れか地割れに会い、生き埋めとなったのだろうことが、状況的に推測できる。。<br /> カインとアベルの物語は良く『人類初の殺人事件』と言われることがあるが、この考えの通りだとすればむしろ『人類初の自然災害』の話であった可能性が出てこないだろうか。</p> <p>最後に注目したいのは罪を犯した大地(カイン)の末路である。<br /> 土の中──つまり今までの解釈で言えば己の身の内より響くアベルの怨嗟の声であっさり犯行がバレたカインは、呪いを受けて追放される。<br /> 追放された地で彼は妹アワンを妻に迎え、その子孫は遊牧民の祖・演奏者の祖・鍛冶鋳造・戦士の祖となる。<br /> このくだりについての私の解釈は、結論から言うと次のようになる。</p> <p>『カインの系譜は鉄の起源と、金属加工技術の変遷を擬人化したものなのではないか』</p> <p>そもそもカインという名前が『鍛冶屋・鋳造者』を意味する言葉であることを見ても、鉄とかかわりの深い存在であるのは間違いない。<br /> 上記の解釈に至るまでの経緯を順に見てみよう。</p> <p><br /> まずかけられた呪いについては、要約するとこうある。<br /> 「弟の血を飲み込んだ土よりもなお、呪われる」<br /> 「土を耕してもお前のために作物を産み出さない」<br /> ここで言われている『血を飲み込んだ土』とはすなわち『鉄を含んだ土』と解釈できる。<br /> それよりもなお呪われるとはつまり、より強く濃く血を含んだモノになるということを意味する。<br /> カインは呪いにより何者になってしまったか──そう、鉄である。<br /> 彼は『土』という大地の一員である身から、純粋な『鉄』という人工物の一員へと変えられてしまったのだ。<br /> 鉄の上に作物など、もちろん育つわけがない。これによりカインは自然界から追放されたことになる。</p> <p>次に呪いと追放を言い渡されたカインが責任を負いきれない、迫害されるに違いないと泣き言を発するシーン。<br /> ここにもカインと鉄を結びつける要素が隠れている。<br /> 人殺ししておいてなんとも図々しいカインだが、以外にも神は彼の泣き言に対して手厚いフォローをしている。<br /> 曰く「カインにあだなすものは七倍の復讐を受ける」というのだ。<br /> 聖書において七という数字は大きい数の比喩的な意味が強いので数字については今回度外視する。<br /> このシーンにおいてカイン=鉄とすれば神の言葉は2つの意味で説得力がある。<br /> 一つは、単純にこの時代背景においておそらく鉄よりも強い物質がないであろうという点。<br /> もう一つは、鉄とは古来より魔除けの力があるものとして扱われている点である。<br /> 鉄と成らしめたカインは物質的な障害にも強く、悪意のような精神性の障害にも耐性がある物質なのだ。</p> <p>また、彼の子孫たちに目を向けると、また面白い発見がいくつかある。<br /> カインの息子、名はエノクという。<br /> エノクというと神に愛された人物として(場合によっては天使メタトロンになった存在として)有名な名前だが、このエノクはそれらとは別人である。<br /> このエノクであるが、町の名前となっている。<br /> そうつまり地名になったのだ。父がかつてそうであったように。</p> <p>更に下って、レメクという人物が出てくる。<br /> レメクには二人の妻がいた。<br /> 一人はアダ。もう一人はツィラという。<br /> そしてアダとの間に生まれた子は遊牧の祖と演奏家の祖に、ツィラとの子は鍛冶師の祖になった。<br /> ここで注目するのは二人の妻の名である。<br /> アダは『光』などの意味を持ち、ツィラは『影』などの意味があるという。<br /> 『鉄』と『光』からは生活や遊興の祖が、<br /> 『鉄』と『影』からは闘争の祖が生まれたことになる。<br /> つまり彼女たちは、鉄文化の光と影を担う存在の象徴と見ることができるのだ</p> <p>罪を犯して追放されたというカインだが、こうしてみると脈々と子孫が栄え、往生しているように見える。<br /> だが、これだけ脈々と反映したように見えるカインの子孫たちであるにも関わらず、以降の聖書世界の物語に関与する人物がほとんどいない。<br /> 系譜が語られているにも関わらず、のちの文書に言及されていない謎の一族。<br /> この奇妙さもまた、彼らがまっとうな人類の系譜に属していない根拠の一つではないだろうか。</p> <p> </p> <p>──そして最後に余談、というより本来こっちが本題なのだが。</p> <p>これは非人間が、人間に成り代るというエピソードとも見ることが出来る。<br /> 上で展開した解釈に沿うならアダムとイブの最初の子供はアベルだけである。にも拘らず、より両親に近い『長男』の地位を本来人間ですらなかったカインが今日得ているのは何故か。<br /> 聖書世界におけるこの初期段階において、人間とは所詮命を吹き込まれた土人形である。<br /> そう考えたとき、人間として人間から産まれたアベルと、もともと大地そのものであったカインではどちらがより父アダムに近い存在と言えるか。<br /> 出自のあり方で見た場合、アダムとカインは、経緯こそ大きく異なるものの『製法』という意味では非常に近しい。<br /> 神がカインの犯行を追及する際にこう言っている「お前が流した弟の血を、口を開けて飲み込んだ土よりもなお~(以下略)」と。<br /> つまり、大地(カイン)はアベルを殺害した際、その血を飲んだということになる。<br /> 血を鉄以外の表現に置き換える際、命解釈するくらいの連想は誰でも思いつく発想だと思う。<br /> 日本においても命を意味する「霊」の字を「ち」と読ませることがあるのは、日本の神話や神道についての知識を少しでも齧ればすぐに知れることであろう。<br /> であれば、大地(カイン)はアベルから文字通り命を奪って、アダムと同じ生きた土に成り果せたということになる。<br /> しかもアダムの本来の子供アベルの命を持った、よりアダムに近い存在『長男』という立場にまんまと割り込んだ形で。</p> <p>更に言えば、他者の体の一部を使って、元居た本物を追いやってしまったという点で、イブとカインは驚くほど似ている。<br /> イブも現在は最初の女性として定着しているが、実は本当の第一の女性リリスが歴史の闇に葬られていることは割とよく知られた話であろう。</p> <p>こうした『偽者が本物に成り代る』話は都市伝説で語られる『出会うと死んでしまう』ドッペルゲンガーの話に良く似ていないだろうか。</p> <p> </p>

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