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登場人物


アサシンクリード ユニティの登場人物や、フランス革命の志士達の紹介です。人物の画像はクリックすることで拡大できます。
シリーズ作品の重大なネタバレがあります。 閲覧の際には十分注意してください。



■アサシンと協力者

+アルノ・ドリアン
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アルノ・ビクター・ドリアン(CV:三木眞一郎

  • 1768年~?
  • オーストリア人の母とフランス人アサシンの父を持つ。ヴェルサイユ宮殿内で貴族の子弟として育てられたため、一流の教育を受ける機会に恵まれる。
  • ところが1776年、彼が8歳の時に父親が何者かによって殺害される。敵対する立場でありながらもアルノの父に敬意を払っていた、テンプル騎士団グランドマスターのフランソワ・デ・ラ・セールが彼の幼子を引き取り、アルノはラ・セール家でフランソワの娘エリスと共に育てられる事となる。フランソワは、アルノの父親に関する記憶を汚したくないとの思いから自身のテンプル騎士団との関わりをアルノには伏せたまま彼を養育する。
  • テンプル騎士団の一員でありながらも理解あるフランソワの下で幸せに暮らせるかと思われたアルノだが、数年後今度はフランソワが他のテンプル騎士のクーデターで殺害されてしまう。
  • フランソワの死に責任を感じ罪悪感に駆られたアルノは、真犯人を捜し出し贖罪を果たすためアサシン教団に加わる。

+ピエール・ベレック
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ピエール・ベレック

  • 1741年~?
  • 元フランス兵のマスターアサシン。ベレックは七年戦争でフランス軍の伍長として従軍したが、何の変哲もない一介の兵士として教団の役に立つ為、昇進しないように細心の注意を払っていた。
  • ベレックは教団の大義に忠実であったが、彼の教義への考え方はあまりにも単純化したものであり、狂信的と紙一重ですらあった。フランス革命の中で彼は、ジャコバン派に共感を示している。

+オノーレ・ミラボー
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ミラボー伯爵オノレ・ガブリエル・ド・リケッティ

  • 1749年3月9日~1791年4月2日
  • フランス人貴族。フランスのアサシン教団で教団評議会の委員を務める。
史実では
  • フランス革命の初期を担った革命家。貴族でありながら革命家というところに違和感を覚えるかもしれないが、当時は第二身分(貴族)の中にも開明派貴族と呼ばれる、民衆に同情的で革命に賛成する貴族もいた。
  • 彼はそうした開明派貴族の中でも特異な人物で、三部会の際にも第二身分代表としてではなく、第三身分(平民)代表として議員になっている。
  • 彼は生まれつき容姿に恵まれず、しかも幼少期の天然痘の痘痕により顔は非常に醜かったとされる。しかし、彼の弁舌の才能は天才的であり、豪放磊落でエネルギッシュな人柄もあって女性のファンも少なくなかった。幼少期から彼を蔑んでいた父親に反発して、女性や金にまつわるスキャンダルを次々起こすなど、貴族の子弟でありながら「札付きのワル」としての道を進む。
  • 三部会では、弁舌の才能と豊かな体力、そして醜い容姿までも巧みに利用し、力強い演説で他者を圧倒し市民を味方に付けた。
  • 現在でもセーヌ川に「ミラボー橋」という橋が架かっていたり、「ミラボー」という名のシャンソンがあったりするなど、今もフランス国民に愛される人間臭い英雄である。

+アレクサンドル・デュマ

トマ=アレクサンドル・デュマ

  • 1762年3月25日~1806年2月26日
  • フランス軍の将軍。『モンテクリスト伯』などで知られる作家アレクサンドル・デュマ・ペールの父親。
  • タヒチの白人貴族と彼の黒人奴隷との間に生まれる。貴族としての特権を享受しながら成長し、貴族としての教育を受ける為にフランスに渡る。
史実では
  • 軍隊の規律に馴染まない自由闊達な性格の人物で、ナポレオン率いるエジプト遠征に参加した際には「この遠征はナポレオン個人の野心によるものだ」と堂々と批判した為に本国に送り返されるなど、自らの信じる道を突き進む人物であったようだ。

■テンプル騎士団

+フランソワ・デ・ラ・セール

フランソワ・デ・ラ・セール(CV:咲野俊介

  • 生没年不明
  • テンプル騎士団のグランドマスター。エリス・デ・ラ・セールの父であり、アルノ・ドリアンの育ての父。
  • 騎士団内での権力やイデオロギーのあり方を変える事となるクーデターの際に殺害される。

+エリス・デ・ラ・セール
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エリス・デ・ラ・セール(CV:豊口めぐみ

  • 1770年~?
  • テンプル騎士団のグランドマスターであるフランソワ・デ・ラ・セールとジュリー・デ・ラ・セールの娘。アサシンの子であるアルノ・ドリアンをフランソワが養子にした為、幼少期を彼と共にする。
  • 父親がテンプル騎士団のグランドマスターであるため、貴族としても恵まれた環境に育つ。だが、生来の冒険家気質であったため、「舞踏会に参加して見目麗しい殿方を捕まえる事に青春を費やす」というような典型的な貴族の娘にはならなかった。
  • お転婆な性格からアルノをトラブルに巻き込む事も少なくない。アルノに果樹園の柵を越えるよう唆し、見張りの犬達に追い掛け回された事もある。1778年の母ジュリーの死後は、多くの時間を旅に費やし、アルノと別れてパリで数年間の国内留学を行うなどしている。幼少期を通じて密かにテンプル騎士団に加わる為の訓練を積んでおり、フェンシングの練習など様々な“課外活動”を行っていた。
  • アサシン教団とテンプル騎士団という相克する組織に忠誠を誓いながらも、エリスとアルノはフランソワ殺しの犯人を捜し出すという共通の目的を有していた。また、彼女は「騎士団を腐敗から守る」為、クーデター後に台頭した一部の新しいテンプル騎士達と敵対しており、こうした面でもアルノと利害が一致していた。

+マクシミリアン・ロベスピエール
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マクシミリアン・フランソワ・マリー・イジドール・ド・ロベスピエール

  • 1758年5月6日~1794年7月28日
  • フランスの弁護士、政治家、革命家。恐怖政治を敷いたことで知られる。
史実では
  • ダントン、マラー、ロベスピエールというジャコバン三巨頭の名前を聞くと高校時代の世界史を思い出す向きも多いのではないだろうか。フランス革命を思想的に裏打ちした人物。右腕的な存在のサン=ジュストも有名。
  • 「腐敗し得ない男」や「合法性の人」と呼ばれるなど清廉潔白で、理想を打ち立てる為なら自身の命すらも惜しくないという考え方の人物。高校世界史では「フランス革命期にギロチンを使った恐怖政治を敷いたが、後に自らもギロチンに消える。」といった程度の扱いをされることが多いが、実際には「フランスだけではなく、新大陸や中国、日本の人まで含めた地球上の全人類」しかも、「今実際に生きている人のみならず、今後生まれてくるすべての人類」もが幸福を追求できるよう革命を推進した高潔な人物。
  • 実際に、刑罰の人道化(当時の刑罰は見せしめ的な意味もあり、八つ裂きなど残忍な物が多かった。実はギロチンも、こうした人道主義の流れから「死刑囚に最低限の苦しみしか与えない処刑法」として開発された)を推し進めたり、「生存権」、「教育を受ける権利」、「労働権」、果ては「政府に蜂起する権利」まで認める余りにも先進的かつ民主的な憲法草案を起草するなど、彼の思想は崇高で、実際の功績も多い。
  • しかし、彼が国民公会で名実ともに国のリーダーとなった頃、フランスは、国内においては反革命派やジロンド派の反乱、国外においてはほぼ全ヨーロッパをフランス一国で相手にする戦争など、内外に大きな問題を抱え存亡の危機に近い状況にあった。こうした中、ロベスピエールは革命を守るために恐怖政治という選択をしてしまう。
  • フランス文学者の安達正勝はロベスピエールの恐怖政治に関して次のように述べている。「たとえば、川の水をきれいにしたとしよう。ゴミをさらい、泥をさらって、かなりきれいになったとしよう。それでも、どこかに濁りがあるのに気づくだろう。その濁りを取り除いても、また別の濁りに気づくだろう。つまり、きりがないのである。ロベスピエールが陥ったのは、このような状態ではなかったか」(安達正勝(2012)『 フランス革命の志士たち 』、筑摩書房)。つまり、あまりにも潔癖すぎたが為に、少しの腐敗や問題も見過ごせず、多くの人を断頭台に送ってしまったのだ。

+フランソワ=トマ・ジェルマン

フランソワ=トマ・ジェルマン(CV:楠大典

  • 1726年~1791年
史実では
  • フランス王国の宮廷金銀細工師。フランス以外にもロシアやポルトガルなど、ヨーロッパの王室向けに数多くの銀細工を製造している。父親も有名な銀細工師であった。
  • 1765年にジェルマンは、支払いの督促に応じない顧客から確実に料金を取りたてる為、銀行家とパートナーシップを結ぶ。しかし、当時の金細工師ギルドには「他の金細工師を除いて何人ともパートナーシップを結んではならない」という規約があったため、ギルドは彼に宮廷金銀細工師としての立場を辞し、破産を申告するよう強制する。これにより彼の輝かしいキャリアは39歳で幕を閉じる事となる。

■王族・王党派

+ルイ16世

ルイ16世

  • 1754年8月23日~1793年1月21日
  • フランス革命当時のフランス国王。先天的性不能が原因で手術を受けるまで子供が誕生しなかった、錠前造りが趣味だったなど、あまり良いイメージの多くない国王。
史実では
  • 浪費好きで知られる王妃マリー・アントワネットと共に、「国民の事を顧みず、自分の事ばかり考えている王族」の代表のような扱いを受けているが、実際にはフランス革命はルイ16世から始まったとさえ言える(国家財政破綻という危機的な状況に際してルイ16世が、それまで納税が免除されていた聖職者や貴族に課税する事で国を救おうと、三部会を開いた事がフランス革命の端緒となる)。
  • 小さい頃から質問や冗談に当意即妙な返事を出来る子供ではなく、「愚昧」のレッテルを張られることになるが、彼は実際には非常に優秀な頭脳を持っており、返事をする前に考え込むのも最適な回答をじっくり考える性格故だった。王族らしからぬ、今風に言えばオタクな趣味として知られる錠前造りも、彼の機械工学に対する情熱がそもそもの始まりであり、後に彼やその家族の首を刎ねる事になるギロチンの開発にも彼の豊富な知識が生かされている(当初ギロチンの開発者は真っ直ぐな刃を想定していたが、ルイ16世が「それでは力が分散して上手く切れない」と指摘した事からあの独特な斜めの刃になった。なお、ギロチンは今でこそフランス革命の残酷さの象徴のように考えられているが実際には、当時の「4台の馬車に罪人の四肢を結び付け、それぞれの方向に走らせる事で八つ裂きにする」といった残忍な刑罰を改め、「罪人に最小限の苦しみしか与えない人道的な処刑法」を追求した末に考案された道具だった)。
  • 彼の頭脳の明晰さや先進的な思想が窺える功績は枚挙にいとまがない。例えば以下のようなものが挙げられる。
    • 機械工学の他にも様々な学問に精通していた。地理や歴史の他、数カ国語を巧みに操ったという。なにしろ、幼少期にイギリスの哲学者デイヴィッド・ヒュームの著書を原著で読み、表敬訪問(この時、ルイ16世は9歳)に訪れたヒューム本人に自ら賛嘆の念を表したという程なのだから並ではない。
    • プロテスタントやユダヤ教徒などカトリック教徒以外にも戸籍上の身分を認めた。ルイ14世ナントの勅令を廃止し、商工業を担っていたプロテスタントの大量流出を招き、国を疲弊させた失政を百年ぶりに正した事になる。
    • 伝統的に弱かったフランス海軍を強化した。組織の改編、シェルブール軍港の建設、各港での乾ドックの建設などを行う。海軍に関するルイ16世の造詣の深さには、海軍幹部も驚嘆したと言われる。
    • アメリカの独立戦争に際して国家予算の数倍にも及ぶ莫大な支援を行った。ヨーロッパで敵対するイギリスに打撃を与える意味もあったとはいえ、「王政の軛からの自由」を掲げるアメリカに大規模な支援を行ったことは彼の先進的な思想を良く表している。彼の支援が無ければ、今のアメリカ合衆国はなかっただろう。
  • また、当時は「貴族、ましてや王族は公然と愛人を持つのが当然」と誰もが考えていた時代で(公式寵姫なる制度まである)、先代のルイ15世には60人以上の私生児がいた程だったが、ルイ16世は公式寵姫すら置かずただの一人の愛人もいなかった。

■革命の志士

+ナポレオン・ボナパルト
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ナポレオン・ボナパルト(CV:高橋広樹

  • 1769年8月15日~1821年5月5日
  • コルシカ島出身の軍人、政治家。後にナポレオン一世としてフランス第一帝政の初代皇帝に即位する。
  • 「人類史上最高の将軍」の一人とされる。彼の軍人としての輝かしいキャリアは、エデンの果実を有していた事に由来する。

+ジョルジュ・ダントン

ジョルジュ・ジャック・ダントン

  • 1759年10月26日~1794年4月5日
  • ロベスピエール、マラーと並んでジャコバン派の指導者であった。
史実では
  • 体格に恵まれ、演説が抜群にうまい為大地を揺るがすような迫力があった、醜いと言われながらも女性受けが良い、金の問題が付きまとうなど、ミラボーとも通じる所が多い。ロベスピエールのような清廉潔白で俗人離れした人物よりは、こうした人間味に溢れる人物の方が好まれるようで、ジャコバン派三大指導者の中で唯一、パリに銅像や自分の名前がついた通りがある。
  • 「金の問題」と言っても、決して「私利私欲の為に税金を横領する」といった類の話ではなく、細かい事には頓着しないが故に金の動きが不明瞭で、金を鷹揚に使っていた点が「問題」だった。ジャコバン派の同志として当初共に活動するロベスピエールだが、後に彼はダントンを処刑台に送ることとなる。ダントンの金に対する鷹揚さが彼の眼には「腐敗」と映ったのだろう。

+ジャン=バティスト・ジュール・ベルナドット

ジャン=バティスト・ジュール・ベルナドット

  • 1763年1月26日~1844年3月8日
  • フランス陸軍の軍人。革命期には熱心なジャコバン派支持者となり、腕に「国王どもに死を」との刺青を入れている。
  • 一介の兵士から将軍に上り詰めた、という経歴はナポレオンと同様で、実際世の人気を彼と二分していた。一時期はナポレオンのライバルと見做され、彼の婚約者であったデジレ・クラリーと結婚してさえいる。
史実では
  • 作中の時代よりも後の事になるが、彼は、これもまたナポレオンと同様に、国家の最高権力者に上り詰める事となる。後継者問題が立ち上がったスウェーデンで、メルネル男爵というかつてベルドットの捕虜となりその際の親切な対応で恩義を感じていた男爵が彼を推薦した事から、突如王位継承者となるのである。1818年には正式に国王に就任するのであるが、かつて彼が「国王どもに死を」との刺青を入れるほどの熱心なジャコバン派支持者であった事を考えると、歴史は皮肉なものである。

■その他

+マルキ・ド・サド
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ドナスィヤン・アルフォンス・フランソワ・ド・サド(CV:藤原啓治

  • 1740年6月2日~1814年12月2日
  • 暴力的な性描写を多く含んだ作品で知られる小説家、貴族。「サディズム」という語は、彼の名前に由来する。

+アントワーヌ・ラヴォアジエ

アントワーヌ=ローラン・ド・ラヴォアジエ

  • 1743年8月26日~1794年5月8日
  • その数々の功績から、「近代科学の父」と称される科学者、貴族。
  • アルノの為にポイズンボムを開発するが、発明品を彼に渡す前に何者かに誘拐されてしまう。

+フランソワ・ヴィドック

ウジェーヌ・フランソワ・ヴィドック

  • 1775年7月23日~1857年5月11日
  • 著名な犯罪者で、後にパリ警察の密偵となる人物。密偵としての実績が評価され、後にはパリ警視庁の前身にあたるパリ地区犯罪捜査局の初代局長に就任しさえする。局長を辞任後、個人事務所を設立した事から世界初の私立探偵としても知られ、「犯罪学の父」と称される事もある。

+マリー・タッソー

マリー・タッソー

  • 1761年12月1日~1850年4月16日
  • 蝋人形作家。マダム・タッソーの名や、ロンドンのマダム・タッソーの館で知られる。
  • ギロチンの犠牲者たちの面影を後世に残すため、切り落とされた首を持ってくるようアルノに依頼する。

+マリー・アン・ルノルマン

マリー・アン・ルノルマン

  • 1843年6月25日~1772年5月27日
  • 商業的に成功した初の占い師と言われる女性。当時フランスでは占いが禁じられていたため、彼女は何度も投獄されるが、それでも出てくる度に占いを再開した。
  • 彼女は、アルノに数件の暗殺依頼をする。

+カネの王
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カネの王

  • 生没年不詳
  • "Roi des Thunes"という、フランス語で「カネの王」を意味するスラング。"Cour des miracles"(奇跡の庭、奇跡の広場)と呼ばれる盗賊や物乞い、犯罪者などが巣食うスラムのリーダーを指してこの称号が用いられた。
  • フランス革命期にこの称号で呼ばれていた人物は、フランソワ・デ・ラ・セールの殺害に関与しており、アルノが探し求める事となる。
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