第五話「敗北」

脚本:渡邊大輔/絵コンテ:矢野雄一郎/演出:依田正彦/作画監督:野口寛明・石井哲哉


「貴様は誰だ」
伊達政宗のことを覚えてすらいなかった石田三成。
上田城でのふたりの再会は、さらなる遺恨を生む。
怒りにまかせて斬りかかる政宗を寸でのところで止める幸村。
怒りの収まらない政宗と幸村との戦いは、避けることのできないものとなる。
一方、徳川家康を探す鶴姫は、家康の未来に深い闇を見る。
そのころ、長曾我部元親と毛利元就は、大谷吉継から九州勢の取り込みを命じられ、島津義弘、黒田官兵衛、大友宗麟らに会うべく、九州へ向かうのだった。
世は大きく動き出す。関ヶ原に向けて……!
(アニメ公式サイトより引用)


+ ←箇条書き先頭のこの部分をクリックすると詳細が表示されます。
もう一度クリックで
閉じます。

※このページでは検証目的で「戦国BASARA Judge End」(テレコム・アニメーションフィルム制作)の映像を一部引用しています。
 サムネ表示なので、クリックすると大きめの画像へ飛びます。

・以下アニメの疑問点を紹介


+  「殺す」という台詞を大盤振る舞いする伊達政宗
 「殺す」という台詞を大盤振る舞いする伊達政宗
政宗は9年間「殺す」という表現を1度も使ったことがないキャラクターであるが、
本作においては「殺す」という台詞が個性の1つである石田三成よりも、政宗のほうがよっぽど多用している。
台詞まわしというのはキャラクターごとの個性を形作るための重要な手段であると考えられるが、
本作においては軽視されているようである。
ちなみに政宗の声を担当する中井和哉氏は、公式イベントのパンフレットにおいて
「政宗はどんなに荒っぽい言動をしても決して下品になってはいけない」との発言をしている。

+  殴り合いをはじめる伊達政宗と真田幸村
 殴り合いをはじめる伊達政宗と真田幸村
ゲームと同様上田城において蒼紅の激突は避けることのできないものとなったが、
通常通りの戦闘をしたゲームと違い、武将同士の対決にも関わらず何故か始まったのは武器を投げ捨てた上での肉弾戦である。
特にアクションゲームが原作ということもあり、戦国BASARAにおいては武器、戦闘スタイルの個性は
キャラクター性と切り離せない重要な要素であり、
荒唐無稽ながらもしっかり戦国時代であるという独自の世界観の構築にも貢献している。
そうした前提があるからこそ名物である武田の殴り愛や武器を捨てた家康といったキャラクターも際立つのであり、
原作への理解に疑問を抱かせる演出であったといえる。

殴りあう政宗と幸村 挙句の果てには蹴り

+  明らかに様子のおかしい蒼紅の対決を「将たるものの戦い」として棒立ちで見守る小十郎
 明らかに様子のおかしい蒼紅の対決を「将たるものの戦い」として棒立ちで見守る小十郎
政宗が錯乱状態から脱してないのが明らかであるにも関わらず、小十郎は蒼紅の激突を「将たるものの望んだ戦い」と称して
様子がおかしい事を察した節のある佐助が止めに入ろうとするのを止めている。そして傍観し続ける小十郎。
その後、敵である猿飛佐助に呆れられ諭されることとなった。
ゲームにおいてはこのようなくだりは全く存在せず、小十郎が自ら体を張って政宗を諌め、
政宗もその言葉を聞き自分を抑え立ち直りの契機となった重要なシーンであったが、
このアニメではむしろ迷走を悪化させるエピソードに改変された模様である。
ちなみに小十郎も政宗同様、このアニメにおいては「ただ負けただけ」であり、
何を悩んでいるのかも、突然知能が低下してしまった理由も全く不明である。

止めようとする佐助を止めている

+  冷静すぎる小十郎
 冷静すぎる小十郎
幸村との殴り合いの最中、傷口が開き血を滲ませる政宗を見ても
「まずい、傷口が開いたか」と冷静に状況を噛み砕く小十郎。
主君の怪我に対して落ち着きすぎている。
殴り合いの喧嘩を諌める事も無ければ、政宗の傷を見ても焦りや憤りといった感情を見せる事も無かった。
生涯ただ一人の主と心に誓い、己が命を捧げるまでに心酔し、自らが絶賛し賛美する主君とはとても思えない態度である。
その後「政宗様!」と政宗の元へ駆け寄るような描写は有るが、実際割って入ったのは政宗が技を出し終え幸村と佐助が壁に吹き飛ばされた後である。
補足として、小十郎より後に駆け寄った佐助の方が断然早く幸村の元へ辿り着いている。


+  無理矢理な幕引き
 無理矢理な幕引き
幸村に三成の姿を重ね襲いかかる政宗だったが、相手が幸村である事を確認すると急に戦意を失い
「真田、アンタはもういい」とその場を立ち去る。
何度も幸村と戦う夢を見ていた政宗が、改めて幸村を見て冷静さを取り戻したかのようにも見えるが
つい先程幸村に向けて「石田より先に殺してやる!」と吠えたばかりであり、幸村を見て冷静になったとも言い難く、
思考の変化や情緒に整合性が感じられない。

+  家康の闇(?)を見る鶴姫
 家康の闇(?)を見る鶴姫
相変わらず単独行動をとる鶴姫は家康がどんな人間なのかを知る為に家康の事を占う。見えたのは家康が暗い空間に一人で佇み、黒い涙を流している光景であった。
それを見て戸惑う鶴姫だが、原作において、まるで家康の未来(或いは今現在)に暗雲が立ち込めている事を示すかのような描写は一切無い。
その後、家康は「もう、良いだろ」と突然意味不明に不機嫌になり去って行った。


+  「どいつもこいつも家康家康。だったら家康をつぶして否が応でも俺の方に目を向かせてやる」伊達政宗
 「どいつもこいつも家康家康。だったら家康をつぶして否が応でも俺の方に目を向かせてやる」伊達政宗
ゲーム戦国BASARA3の石田三成の台詞として「家康、家康、家康、家康…!誰も彼もが家康の名を呼ぶ…!」というものがあり、
ここでも石田三成の属性が伊達政宗に移植されている模様である。
原作では政宗と家康はかつて共闘もしたことがある旧知の間柄であり、このようなエピソードは存在せず、
政宗はこういった幼稚で自己中心的な思考をするキャラクターでもない。
また、このアニメ内において政宗が誰かの口から家康について聞いた場面はなく、
三成の持つ家康への執着を知る機会もなかった。強引な台詞のねじ込みにより矛盾が発生している。

+  「手負いの右目は黙って見てな」
 「手負いの右目は黙って見てな」
三成への怒りを相変わらず隠しきれない政宗は、今度は怒りの矛先を家康に向け、それを咎めようとした小十郎を威圧し黙らせている。
本来政宗は頭に血がのぼったときに自分を諌めてくれる小十郎に内心感謝しているキャラクターであり、
ゲーム戦国BASARA3においても、挫折の中で自身の在り方が小十郎の目にどう映るかということを
確かめながら進んでいく様子が伺えた。また、怒りの感情をもてあます自身を皮肉るような冷静さも持っていた。
このシーンでは小十郎の忠告を一切聞き入れず冷たい言葉で突き放している。
ひたすら私怨で軍を動かし腹心にすら牙を剥き出しにするなど、そこに国主としての姿は無い。

+  元親に後ろめたさの無い官兵衛
 元親に後ろめたさの無い官兵衛
原作において、官兵衛は元親の顔を真っ直ぐ見る事が出来ず、常に後ろめたさを感じていたのだが
本作においては非常に友好的に会話をしている。官兵衛の所業が無かった事にされれば今後の展開が原作とは大きく異なってしまう。


+  「アンタをぶっ潰して石田に俺しか見えねえようにする」伊達政宗
 「アンタをぶっ潰して石田に俺しか見えねえようにする」伊達政宗
原作ゲームにおいて上田城戦後の政宗は、現在の自軍の窮状を見極め、自ら家康の元へ赴き同盟を受け入れている。
「でかくなったのは背だけじゃない」等旧知の家康の成長に言及するなど、
家康と政宗の関係性やキャラクターの掘り下げに一役買っているくだりでもあった。
このアニメでは根本から改変され、政宗が家康を潰しにくるという真逆の顛末になっているが、
これは石田三成を主人公にしたコミカライズ「Bloody Angel」からの流用であると推測される。
アニメ化にあたり、特別ファンから好評を得たわけでもない派生コミカライズから、
原作ゲームと真逆になっているほどの大幅な改変部分をそのまま引用するというのは、大変珍しいのではないかと考えられる。
また、政宗がたまたま衝突した結果敗北しただけの相手である石田三成に対し「俺しか見えねえようにする」
といった感情を抱く必然性はなく、未熟ながらも正論や俯瞰視点の台詞が多い政宗のキャラクター性からは
違和感を禁じえない発想でもある。

+  象徴的な台詞を真逆に改変された伊達政宗
 象徴的な台詞を真逆に改変された伊達政宗
「地に落ちた?No!降りて来たのさ!」
ゲームにおける政宗のこの台詞は公式サイトのキャラ紹介にも使用され、
3の政宗の状況と彼のキャラクター性を端的に表現しており、ある種のコミカルさと相まってファンに親しまれている
象徴性の高い台詞であった。
この台詞が当アニメにおいては「竜は地に落ちた!這いつくばった竜に何ができる!」という
真逆ととれる意味のものに改変され使用されている。
原作の素材を使ってわざわざ真逆にするという改変について、ファンにどういう反応をして欲しかったのか
謎は深まるばかりである。

最終更新:2014年08月20日 04:59