経歴資料(時系列)

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□78年(昭和53年)7月6日
生誕。広島県福山市出身。

父親は塩村一。母親は塩村文子(現在は離婚で旧姓に戻っている。)

(左写真・塩村一氏)

(左写真・塩村(旧姓)文子氏)
兄弟は兄が一人(交通事故で他界)、
弟、妹(結婚済、夫婦で実家の福山市に母と同居)がいる。

参考
http://web.archive.org/web/20121202115748/http://carnifty.cocolog-nifty.com/shiomura_ayaka/2007/06/index.html
http://web.archive.org/web/20121202115610/http://carnifty.cocolog-nifty.com/shiomura_ayaka/2008/12/index.html

 

□85年(昭和60年)4月
広島県福山市立光小学校入学

◇86年(昭和61年) 塩村性を名乗り始める(8歳の頃)
◇88年(昭和63年) いわゆる「福山市汚土事件」が発覚。

 ※福山汚土事件:1989年(平成元年)に福山市の汚土収汚土収集委託業務をめぐり、
  元委託産廃業者(塩村文夏氏の実父)の詐欺や暴力行為、市長への委託念書の強要などの疑惑から
  福山市議会に百条委員会が設置され、並んで市長、助役、収入役と産廃処理業者に対して住民訴訟( 平成1(行ウ)9)が提起された事件。

◇89年(平成元年) 「福山市汚土事件」で父親の塩村一氏逮捕。父の暴力団との繋がりも明らかになる。


□91年(平成3年)4月
広島県福山市立鷹取中学校入学


□94年(平成6年)4月
岡山県岡山市の私立就実高等学校入学。
高校時代は寮に入寮。
http://shiomura-ayaka.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-940c.html
>高校の寮時代は毎日一緒にいたな~!

□96年(平成8年)
高校在学中にスポーツ用品販売会社アルペンのイメージガールコンテストに応募して準グランプリ。


□97年(平成9年)4月
    共立女子短期大学に入学。大学には、高校の指定校推薦で入学。

http://ascii.jp/elem/000/000/454/454093/index-3.html
>小さいときからずっとアイドルに憧れていて、高校に入るころには
>自分もグラビアアイドルを目指そうと考えていました。
>でも親の反対もあったし、実家は広島。上京する口実を作るために、
>親に内緒で東京の短大の指定校推薦を決めちゃったんです。

 

 

所 属:オフィスパレット
サイズ:T163.B84.W60.H86.46K(1997)

 

http://www.tisen.jp/pukiwiki/?%A5%B9%A5%B3%A5%E91997
◇97年(平成9年)9月
講談社『スコラ』1997年09/11号にてグラビア


◇97年(平成9年)12月28日
『スーパーJOCKEY』熱湯コマーシャルのコーナーに出演。

◇98年(平成10年)
『第3回ミスヤングマガジン』(準グランプリ)に選出。

※写真は当時のヤンマガ(98年03/9号)に掲載されたもの。

※こちらは表紙に掲載された98年03/9号。

※第3回ミスヤングマガジン(98年)
    グランプリ ・柴田あさみ
    特別賞 ・山川恵里佳
    準グランプリ・塩村文夏、綾瀬のぞみ(現:小清水希)、雑部いづみ

http://www.geocities.jp/fooming/data/newkaredonia.html
◇98年(平成10年)3月
第8回ニューカレドニアプリンセスコンテスト
グランプリ ・豊浜 美和
準グランプリ・菊川 怜
審査員特別賞・塩村 文夏

◇99年(平成11年)
ニッポン放送と平塚競輪場がタイアップして募集をした、
平塚競輪マスコットガール「ウィンディ君の恋人」の3名のうちの一人に選ばれる。
00年5月までキャンペーンガールを務める。

※キャンペーン当時の写真

http://www.netlaputa.ne.jp/~peach/tms99/map400/map2.htm
◇99年(平成11年)10月22日~11月3日
第33回 東京モーターショー 1999(幕張)にてコンパニオンを務める。
※担当はスズキのブース。


http://web.archive.org/web/20090419225147/http://www.motormagazinesha.co.jp/medialog/ms2001/c/4i/253.html
◇01年(平成13年)10月26日~11月7日
第35回 東京モーターショー 2001にてコンパニオンを務める。
※担当は米国クライスラーのPTクルーザー。


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■宇川徹(2輪世界GPライダー)


http://carnifty.cocolog-nifty.com/shiomura_ayaka/2007/10/post_b38d.html
その時の私の立ち位置と、いまの立ち位置は変わってしまっています
>それによって態度が変わってしまった人が多い中、阿部さんは本当に昔と変わらず接してくれて、
>私は心の中で感謝をしていました。

※阿部ノリックと最初の面識は98年ということが分かる。
当然宇川のツテでの面識、ということになる、と容易に推測できる。
つまり、短大在学中のグラビアアイドル駆け出し時に宇川と知り合い付き合い始めた、と推測される。


※千葉県松戸出身の宇川は両親の離婚で母に育てられ、姉ひとり。

http://matome.naver.jp/odai/2140410600896527601?&page=2
>恋のから騒ぎ 第619話 「彼の器の小ささが見えた瞬間」

>彼氏とその家族と同棲していたのであるが、3,4年もすると、いろいろと軋みが生まれる。
>たとえば、彼氏の母と姉のところに行くと、2人が一緒にいて楽しそうにしているのだが、
>塩村が来た瞬間、どこかに消えてしまったり。親戚から電話がかかってきたとき、
>彼氏の母に取り次ぐように言われたとき、親戚は、彼氏が結婚していないのになぜ知らないに女性がいるのか不思議に思った。
>親戚は、彼氏が結婚したか否かを母に聞いたらしく、母は、
>「新しく建てた家に、
(母と彼氏と姉と)3人で暮らせると思ったら、よく分からないの(塩村)が入ってきて、辛いんですよ」
>とか言い始めて。はじめ、バリバリ、煎餅を食べながら、聞いていたのに、煎餅も口を通らなくなってしまった。

※02年に宇川と破局をしている塩村。『から騒ぎ』での発言から、
「3、4年」宇川の母、姉とともに宇川と同棲していたことが分かる。
つまり98年頃(塩村19~20歳くらい)には同棲を開始していたということに。


□01年(平成13年)頃
芸能活動(グラドルなど)を一旦休止
※欧州でGPロードレーサー宇川徹にヘルパーとして帯同することとなった為の、事実上の芸能活動引退


□02年(平成14年)
GPロードレーサー宇川徹のロードレース世界選手権MotoGP転戦に帯同。

 

※02年頃破局? 1500万ゲッツは多分ココ

※宇川徹は06年に現役引退後、結婚。
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□03年(平成14年)
イギリスに語学留学。場所はブライトン。
ブライトンは観光都市で、語学留学の定番中の定番の場所。
お金を払えば誰でも留学できる、とも言う。
恋のから騒ぎ 第633話では、留学の理由を「彼氏から逃げる為」と本人談。

※元彼から1500万円の慰謝料をもらってイギリスに留学した。
その彼の部下イギリスまで塩村文夏さんを口説きに行った。
本人によると、語学留学は1年間。

>「言われてみれば。40分ディレイなんてザラだったなぁ、ブライトン。」
https://twitter.com/shiomura/status/54743165307068416


>「イギリスに戻りたい。ブライトンで勉強したい。しっかり遊びたい。
>ティちゃんに会いたい。もう会えないのは寂しい。悲しい。
>一緒にスイスに旅行したのを思い出す。お金がなくても楽しかった。
>何にも変えがたい日々だったんだな。思い出は思い出のままに、、だね。」
https://twitter.com/shiomura/status/65443522580463616

 

□04年(平成15年)
オーストラリア・パースのカレッジ(Perth International College of English)に入学。
ケンブリッジ英検準備(FCE)コースを受講。
http://www.sunsetdreams.com.au/school/english/pice.php?PicID=1
http://www.languagecourse.net/discount-ryugaku/gakko-perth-international-college-of-english-perth.php3

http://www.macslink.com/column/content/1113798963/
第24回 塩村 文夏さん(Perth International College of English)
(2005/08/11 19:31更新)

http://archive.today/diV0Z
>Australian School of Tourism and Hotel Management

>“The high quality training and friendly and professional staff have made my studies very enjoyable and
>rewarding at the Australian School of Tourism and Hotel Management.”

>Ayaka Shiomura
> Japan
> Student 2004


□05年(平成16年)~06年(平成17年)頃
豪州のカレッジ在学中にカンボジアの航空会社に合格。
最初は広報として働き、CAとしてフライトも一回経験。
航空会社は不明だが、当時の状況からアンコール航空(Angkor Airways, 呉哥航空)と思われる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%AB%E8%88%AA%E7%A9%BA

http://ascii.jp/elem/000/000/454/454093/index-2.html
>その後1年間、イギリスに語学留学して、オーストラリアのカレッジに入り、
>ホテルやレストランでお客様をどのようにおもてなしするか、
>そしてそれをどう運営していくかというHospitality Managementを
>一年半ほど学びました。そうこうしているうちに、
>カンボジアの航空会社に受かったんです。
>でも、最初は広報として働いてたんです。やっとフライトアテンダントとして1回飛べたところで、
>日本から直行便を飛ばすという計画自体が頓挫しちゃって。


http://carnifty.cocolog-nifty.com/shiomura_ayaka/2009/02/jaia-vol1-6f25.html
■韓国人の彼氏
>実は...留学時代に韓国の方とお付き合いをしたことがあり、その人がとてもいい人だったんです。
>だから、韓国製のおクルマに興味があったんですよね。


□06年(平成18年)末頃~07年3月頃
日本に帰国後からの数か月間、自動車評論家・小沢コージに師事。「眞野夏帆」のペンネームを使用。
小沢の弟子は実質3ヶ月で辞め、07年春には独立している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%B2%A2%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%B8

(左写真・小沢コージと眞野夏帆)
http://koji-ozawa.sakura.ne.jp/2007/
>さようなら眞野夏帆…

>エイプリルフール!? ではなく唐突なことに、本HPで好評連載中の「眞野夏帆 幸せに結婚したい人のクルマ選び」が
>一身上の都合により3月末で終了することになりました。ちょっとしたステキな嵐でした。
>またの新コーナーにこうご期待! 懲りずにさらなる美人? もしくは美男が!??


□07年(平成19年)4月~08年3月
明石家さんまが司会を務めるテレビ番組『恋のから騒ぎ』(日本テレビ)の第14期生として、
同番組に1年間、全47回にわたって出演

参考(塩村文夏登場シーンまとめ動画) 「塩村文夏 都議会議員 みんなの党 塩村文夏(あやか)の『恋の 」
https://www.youtube.com/watch?v=1xaRy-aI9r0#t=184


□07年(平成19年)6月5日~ カニリカが講師を務める女性放送作家講座に参加。
http://kanirica.eplus2.jp/article/43083907.html
http://shiomura-ayaka.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post-9bfa.html

□07年(平成19年) 『恋のから騒ぎ』出演後、放送作家の見習いとしての活動を始める。
※構成作家としてオフィス・トゥー・ワンに所属。

□08年(平成20年)頃 構成作家としてギャラを得られるようになる。


http://ascii.jp/elem/000/000/454/454093/index-3.html
>「恋のから騒ぎ」収録中にひな壇からスタジオを眺めていたら、ひとりの女性が目に留まったんです。
>ディレクターさんでもADさんでもない、何をしてる人なんだろうと思っていたら、その方が構成作家さんだったんです。
>そこで初めて構成作家というお仕事を知って、自分の意見や考えたことが番組になって全国に流れるってスゴい!
>私もやりたいと思いました。
>その最中に制作会社の方から「見習いとしてやってみないか」とお誘いを受けまして。しかもちょうど日本テレビの番組だったので
>「恋のから騒ぎ」のことを覚えている方も多くて、その縁でいくつかの番組で見習いを経験させてもらいました。
>見習いの1年間、ギャラは出ませんでした。ライターのお仕事をこなして生活費を稼ぎつつ、見習いとしてもフルで働いていたので、
>睡眠時間が1日2時間弱という状態で1年間。この時期が一番キツかったです。構成作家としてギャラをいただくようになっても、
>最初のうちは一回きりの特番が主で、安泰とはとても言えませんでしたね。

 

放送作家として入った番組では、
「ナンシー塩村」の名義で自らも何度か番組に登場している。

http://carnifty.cocolog-nifty.com/shiomura_ayaka/2008/09/post-b5e8.html
●08年(平成20年)9月16日
ポルシェ986ボクスター購入。


http://shiomura-ayaka.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-5f15.html
◆09年(平成21年)11月
>ココまで読んだ方なら分ると思うけど、はい、失恋しちゃいました。

●10年(平成20年)10月
大田区に引っ越し。
https://twitter.com/shiomura/status/27626212676
>大田区に引っ越したらtvkが見られるようになりました。

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■トヨタ関連の御曹司

●11年(平成23年)7月~8月頃
大田区から南青山に引っ越し。
※トヨタ御曹司のマンションに移るにあたり、荷物等を徐々に移したとみられる。

http://shiomura-ayaka.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/cat-4804.html
◆11年(平成23年)7月2日
>暑さ対策のため、表参道にお引越ししました。
※御曹司の家の南青山3丁目は表参道駅徒歩1分。
https://twitter.com/shiomura/status/108430959464034304
>大田区に戻って引っ越し準備。
>ああ、転出届もいるわね。

※御曹司が学生時代の同級生との結婚に失敗した後
アイドル崩れ女たちとの合コンで塩村と知り合い
その2週間後に、「猫を預かってください」と御曹司の家を訪れ、
気がつけばそのままマンションに転がり込んでいたとのこと。
(ソース・『週刊新潮』2014年7月10日号)


http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1801299.html
●11年(平成23年)9月14日
「加藤茶 仲本工事さん、、。ぶっちゃけ気持ち悪いと思うのは私だけ?」とツイート


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B6%AD%E6%96%B0%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%A1%BE
□12年(平成24年)3月
開講した維新政治塾に応募、同年6月に第一期塾生となる

http://carnifty.cocolog-nifty.com/shiomura_ayaka/2012/03/6-is250-399f.html
●12年(平成24年)3月2日
レクサスIS250納車時点での、塩村自宅のナビ設定は南青山3丁目10番地。

>デスク「目的地設定を承りますが、いかが致しましょうか?
>塩村 「はいお願いします。じゃあ自宅を。」
>デスク「畏まりました。東京都港区南青山に御座いますご自宅で御座いますね?」
>塩村 「はい、そこでお願いします。」

>音声&ナビ設定画面
http://youtu.be/Kg52GKgqgWc?t=47s


http://e-room.co/address/3636.html
港区南青山3-10-30南青山ライズハウス
家賃 500000円 3LDK

●12年(平成24年)4月
http://carnifty.cocolog-nifty.com/shiomura_ayaka/2012/04/index.html
>「お姉さん、東京の人でしょ!」とまた唐突に話しかけてきた江頭6時10分。
>ビンゴだったので「正解!」というと、(略
>私は本を読みたかったけど、仕方なく江頭6:10分の話に付き合うことにし、
>新宿ではないと言うと、「じゃあ、池袋でしょ!」。

>「いえ、青山です(相方にヤドカリだけど)」と答えました

●12年(平成24年)9月
http://carnifty.cocolog-nifty.com/shiomura_ayaka/2012/09/index.html
気になっていたおクルマ「プリウスPHV」vol.1 2012年9月16日 (日)
気になっていたおクルマ「プリウスPHV」vol.2 2012年9月25日 (火)

>私は都内在住なので駅が徒歩圏の何駅もあって
>自宅のマンションで充電をしようと

>三田からうちまでは6kmはあるので、

□12年(平成24年)11月13日
地域主権型道州制国民協議会の港区第2支部を結成。
http://www.dousyusei.jp/topic.php?t_no=16
>竹下友浩板橋区支部長の紹介で塩村文夏氏を支部長として港区に第2支部が誕生しました。

>塩村文夏支部長は放送作家として活躍中の多才な女性です、
>地域主権型道州制国民協議会に新風を吹きこみ、
>大いに活躍されるよう期待します。

http://megalodon.jp/2014-0702-1511-56/www.dousyusei.jp/shibu_order.php?serial=92
東京都港区第二支部    
住所:    東京都港区南青山3-10-30-103
支部長    塩村 文夏

(左写真・東京都港区第二支部)

 

□12年(平成24年)12月24日
https://twitter.com/shiomura/status/283459133443813376
港区選挙管理委員会に問い合わせ。
※維新政治塾の終了も近く、立候補に向けた動きの端緒か。

□13年(平成25年)2月
維新政治塾を卒業

http://shinpei3.blog102.fc2.com/blog-entry-93.html
>2月9日 維新政治塾修了式
>修了式終了後、私は同志達と企画していた、名刺交換会のセッティング。
>主宰で親友の塩村文夏女史が司会をし、


http://asumaken.blog41.fc2.com/blog-entry-8307.html
●13年(平成25年)3月
3月現在、住所は港区南青山。
※トヨタ御曹司の住所は港区南青山。

 

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■三谷英弘(みんなの党倫理委員長で弁護士資格を持つ衆議院議員)
※昭和51年6月28日生まれ(蟹座 A型) 家族:妻、長女、次女

□13年(平成25年)3月15日
>みんなの党が都議選(6月23日投開票)の新たな公認候補予定者を発表。
>▽塩村あやか(34)=世田谷区

>塩村さんを引っ張ってきたのは、党の倫理委員長を務める弁護士出身の三谷英弘衆議院議員です。
>みんなの党の世田谷区にはすでに他の候補がいたんです。(註: 日比靖昌・みんなの党東京都議会第19支部長 )
>ところが、三谷さんは候補者選定の際に党本部に
>『塩村といういいのがいるので、自分の地盤の世田谷区から出したい』と報告し、塩村さんを後押しした。
>塩村さんの選挙事務所も三谷さんが提供し、まさに二人三脚で選挙戦を戦っていた(略)」
(週刊文春2014年7月3日号)

□13年(平成25年)3月27日
世田谷選挙区から、塩村氏よりも先にみんなの党公認都議選候補となっていた
日比靖正氏が、選挙区調整の結果、立候補を辞退することとなり、
政治団体の解散届けを提出。
これによりみんなの党世田谷選挙区は塩村氏に候補を一本化。

 

http://shiomura-ayaka.com/2013/10/04/news-529.html
□13年(平成25年)3月24日~8月2日(参院選を挟み荷物撤去は8月上旬)
世田谷の事務所(世田谷区駒沢2-6-1-2F)を借りて、政治活動および選挙活動
※事務所を紹介したのは不倫疑惑とされたみんなの党・三谷英弘
※事務所開きには、トヨタ関連企業の重役を務める40代男性が駆けつけている。
選挙スタッフの間では、この男性は“塩村都議の婚約者”で通っていた(ソース・『週刊新潮』7月3日号)

http://shiomura-ayaka.com/2013/04/08/news-174.html
□13年(平成25年)4月8日
政治家としてのオフィシャルサイト開設

□13年(平成25年)6月14日
2013年東京都議会議員選挙へ世田谷選挙区からみんなの党公認候補として出馬。

余談だが、選挙期間中、選挙カーに乗ったウグイス嬢3名はいづれもタレントやモデルの仲間である。

 まず「恋のから騒ぎ第14期」で一緒だった小倉星羅

つぎにモデルの塔筋真弓(美人時計モデル) 。

最後にフリーアナウンサーの市川えり菜。以上3名が選挙カーでウグイス嬢を務めた。

□13年(平成25年)6月23日
2013年東京都議会議員選挙の開票の結果、世田谷選挙区(定数8)で23,621票を得て6位で初当選。

●13年(平成25年)7月
参議院選挙の比例代表でのみんなの党の政見放送に、
都議選当選から一週間足らずの塩村都議が、渡辺喜美代表と共に出演。

参考
Youtube「政見放送 NHK 2013参院選 比例代表 みんなの党」

https://www.youtube.com/watch?v=wq6SfY7H3G4
(6分20秒頃から塩村都議が登場)

 

※都議選立候補時の、届け出た住所は「世田谷区三軒茶屋二丁目2番11-401号」
この場所には「三軒茶屋プラザ」というマンションが建っている。
https://web.archive.org/web/20130622172154/http://www.h25togisen.metro.tokyo.jp/pdf/rikkouhosya_ichiran.pdf
「三軒茶屋プラザ」の部屋情報によると、賃料は14万円/月、敷金2、礼金1。
これを参考として、敷金礼金家賃半年を一括すると126万円という数字となる。
http://www.hiroo5161.com/blog/?p=12

※ちなみにこの「三軒茶屋プラザ」は現在(註:14年8月)は解体されており、新しい建物が建築中である。

(三軒茶屋プラザ跡地・2014年8月撮影)


また、これまで塩村氏の事務所として使われてきた祖師ヶ谷大蔵事務所(世田谷区砧8-8-20 吉浦ビル1F)が
このころ引き払われた模様である。

参考 塩村あやか公式ページ(2013年6月30日Webアーカイブ)
http://archive.today/ytByr

祖師ヶ谷大蔵事務所のGoogle Earthの画像が、6月にはあった塩村事務所が
7月には引き払われた様子がはっきりと残っている

(2013年6月)

(2013年7月)

 

◆13年(平成25年)7月頃
おそらくこのあたりでトヨタ御曹司と破局。(興信所が内偵のち強制離縁)
※手切れ金として赤レクサス、1000万円、世田谷マンションの敷金と
礼金半年分の家賃などを支払った。御曹司と破局したのは議員になった翌月。
(ソース・『週刊新潮』2014年7月10日号)
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◆13年(平成25年)8月末から9月頃
三谷英弘議員が、世田谷用賀に事務所を新規開設。
事務所所在地は世田谷区用賀4‐11-17グリーンハウスNo.6 404号室。
※この事務所は三谷と塩村、世田谷区議会議員すえおか雅之の共同事務所。
奇しくも塩村が駒沢の事務所を退去した直後に開設。
8月、9月は塩村都議と三谷代議士の二名の共同で賃借
10月頭に二人の不倫報道がフライデーされたのを機に、末岡区議に共同使用者に加わってもらう


◆ しかし都議選後、二人の間に微妙な空気が流れ始めたという。(中略)
「塩村氏は選挙資金を三谷氏に頼っていたようで、そのお金のことでもめたようです。(中略)
感情的なもつれにならないよう三谷氏の友人の弁護士が間に入って、話し合いを続けています」
(前出・党関係者) 「週刊文春」(2014年4月24日号)


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■太田匡彦(朝日新聞 元AERA記者)
※東大卒でJTB、読売新聞(東京本社)を経て01年に朝日新聞に入社経済部で流通を担当した後、
07年から13年3月まで『AERA』編集部に在籍。
父親は太田光明・麻布大学獣医学部教授。
http://www.azabu-u.ac.jp/teacher/va/ohta_mitsuaki.html


◆13年(平成25年)頃
塩村とは動物愛護活動を通じて知り合った(週刊文春2014年7月3日号)

http://blog.goo.ne.jp/wanwan3111/e/ac71802546ce4a4b9a861ab999d2a7a7
※著書「犬を殺すのは誰か」のあとがき(10年8月に執筆)では、
「夫婦共働きなので昼間は長時間の留守番をしており」とある。

 

◆『週刊朝日』が塩村都議の事務所経費問題に関する取材を進めていたところ、
『AERA』編集部に在籍していた男性(太田匡彦)が、「自分は(塩村都議の)婚約者だ」と介入
(ソース・『週刊新潮』7月3日号)

 

●13年(平成24年)10月13日
駒沢の選挙事務所家賃の請求にたびたび訪れる大家さんを
塩村都議は「ストーカー」と認識し、警視庁玉川警察署へと相談に出向く。


●愛車レクサスのナンバー(番号0076)が前後共に盗難に遭う。
修理とナンバー変更の為、しばらく代車を使用。
https://twitter.com/shiomura/status/401041732399161344

●13年(平成24年)12月26日
駒沢大家の横溝氏が、民事被告乙2の男性と共に東京都庁を家賃請求に訪れる。

来訪を察知した塩村都議は「たいへん 横溝(註:大家さん)が来た! たすけて」
携帯からメールを送って逃亡。
大家さんらは都庁4階のみんなの党TOKYO(当時)控え室に行くも、
控え室には両角穣都議と、音喜多駿都議しかおらず。
音喜多都議が大家さんに対応をし、塩村都議逃亡の時間を稼いだ模様。
(後日大家さんは両都議へ謝罪を要求。)

●14年(平成25年)1月28日
東京都知事選の選挙戦で、細川護煕元首相が候補として
三軒茶屋キャロットタワー前にて街頭演説。

みんなの党の地方議員達は細川陣営の応援へと入っており、
塩村都議も公式の運動員の腕章をつけビラを配布。

ここに駒沢大家の横溝氏と、民事被告乙2の男性がラミネートのプラカードを手に
「家賃を払え!」とアジり塩村都議へと突撃を敢行。

●14年(平成25年)2月
塩村都議が原告となり、東京地裁に民事訴訟を提訴
(東京地方裁判所・平成26年(ワ)7625号「債務不存在確認等請求事件」)

被告乙1が横溝眞由美氏(選挙事務所の大家さん)、乙2が横溝氏支援の男性、
そして被告丙として三谷英弘氏(当時衆議院議員)。

民事訴訟の提訴を受け、大家さんに「面会強要禁止等」の仮処分決定が出される。
(これは罪がある事を示すものではなく、単に状況を保全するための決定。)


http://shiomura-ayaka.com/2014/03/18/news-655.html
●14年(平成25年)3月18日
都議会の厚生委員会で動物愛護 女性施策等について質問

 

●14年(平成25年)5月
塩村都議に民事訴訟を提訴された大家さんが、塩村都議を反訴
(東京地方裁判所・平成26年(ワ)10938号)

被告は塩村文夏氏、および三谷英弘氏。


□15年(平成26年)6月18日
都議会本会議の定例会一般質問で、塩村都議が晩婚化対策に関する質問を行う。
この質問の最中に、「早く結婚したほうがいいんじゃないか」などと
性差別的な野次が飛ばされたとして、連日報道を騒がす事態に発展
塩村都議の質問光景がニュースで次々と流され、一躍時の人となる。

□14年(平成25年)8月19日
みんなの党が定例記者会見の中で、東京都議会でのヤジ問題について、
発言者が特定されていないヤジについての声紋鑑定実施を断念した、と発表。
この問題では塩村都議は、「産めないのか」といった「出産に関するヤジ」を受けたと主張しており、
都議会所属会派のみんなの党Tokyoでは民間の鑑定機関への声紋鑑定の依頼を検討。
しかし鑑定機関側からは「雑音が大きすぎることなどから発言者の特定が技術的に困難」と回答があったとのこと。
http://www.yomiuri.co.jp/national/20140819-OYT1T50100.html?from=tw

 

●14年(平成25年)9月
三谷英弘氏が、駒沢の大家さんからの請求のあった家賃相当額を完済。

13年8月に一端50万円を支払っていた三谷氏は、13年12月に20万円、
14年1月~9月に毎月10万円づつを大家さんへと支払った。
全ての合計は160万円となり、大家さんの請求額と一致。

この完済を受け、大家さんは10月7日に三谷氏への反訴を取り下げ。
塩村都議の提訴の被告からも取り下げられ、被告から外れる。

 

最終更新:1970年01月01日 09:00