『君の名は。』彗星の落としどころ


はじめに二つのことを言っておこうと思う。
まずは、新海誠監督のアニメーション映画『君の名は。』が、ぼくはとても好きだということ。
そして、太陽でなく、地球の周りを廻っている彗星が、お話の中ならただ存在してても構わない、なんて言う人は、論理的な思考に問題がある人じゃないかい?っていうことも。でも。

話題になったのは、『君の名は。』での、地球に近づいてくる彗星の軌道の描写がおかしい、間違ってる、という指摘。

なーんて書くとこの映画が、作者の無知から来る、ありえない前提から始まって堂々と、トンデモ描写を展開しているものと受け止められるかもだけど、実際には、そんな、太陽でなく地球の重力に引かれて来る彗星が〈はっきりと〉示される場面は、彗星の接近を扱うニュース番組に出てくる、彗星の進行方向の予想図だけであるのらしい。
らしい、って、「何だお前、観てないくせにこれ書いてるのか」とか言わないで下さいね、
2回観てます。
それで、正直に言ってしまうと、初見では、常識で考えたらおかしいフリップボードも、見てはいたんだけど全然気にしてませんでした、というか気付けませんでしたー、って告白するよ。
で、観たあとで、ネットで色んな人の『君の名は。』感想を追っていて、件の指摘に出くわして「あれれ?」ってなって、確認の意味も含めて(いや、あの世界をもういちど体験したい!ってのがメインですけど)ふたたびスクリーンと対峙したのでありました。

この問題(…もんだい?)が、『君の名は。』が、やや、ややこしいのは、これもネットで言われてるんだけれども、およそ千年周期で地球に接近するかの彗星の破片が、それこそ天文学的にありえない確率で何度も(毎回?)ヒロインの住む土地に落下し続けているのである…らしい、という設定を以ってして彗星は、ただ物理法則に従って運動しているのではない、という説も可能であるってこと。人工的、てか宇宙人工的(?)、あるいは神的な力の影響下にある?

(この文、?が多すぎませんか?)

だとするなら本当に、不自然な軌道を彗星が描くことも可能ではあるのか。
…いやあそれでも、無理に地球の周りを廻らせることもないんですけどね、作者/策者さんが「地球と彗星が惹かれ合ってる」ニュアンスをこっそり夢意識にでも観客に感じさせたほうが物語としてロマンチックに受け止められるんじゃないかと目論んでいたのでもなければ。

でももしそんなことなら、そんなこと何だか納得いかないんですけど新海監督!!

なーんて、2回目み終わった直後は思ってました。
思ってはいましたが、だがしかし、
納得いかないまま何度か映画を脳内で反芻し、あれはなあ、ああだったらありえないんだけどなあ、とかなんとか考えてる状況が、何だか、この物語の、男の子側のもうひとりの主人公――瀧くんが、ことの次第の真相にたどり着こうと、夢の記憶を追ってる様子に近いような気もしてきて。

ぼくが観た映画の記憶を振り返ることは、彼と彼女が見ていた夢の、記憶を振り返ることなんだ。

なんて思えてきて。
フィルムにはあり得ない彗星軌道の図像が刻まれてはいる。いかにも客観的に起きていた出来事であるかのようなその描写は、


✱✱✱✱✱これから『君の名は。』ラストシーンについて言及します✱✱✱✱✱
✱✱✱✱✱これから『君の名は。』ラストシーンについて言及します✱✱✱✱✱
✱✱✱✱✱これから『君の名は。』ラストシーンについて言及します✱✱✱✱✱






全部が、やがて消えていってしまう、夢の記憶なんだ。という考えに至ってしまって。
それならば、と。

『君の名は。』で起きてたことの諸々が、本当には起こっていない出来事である可能性もありなんじゃない?

なんてぼくは思ってしまった。
瀧と三葉の入れ替わりなんてなかった。そう、少なくとも〈現実〉では。
糸守町に彗星の破片が落下したことは事実。
それは、太陽を廻る軌道を考えたら専門家でも予測しきれなかったことではあったけれども。
真剣かつスラップスティックな風でもある、みんなの避難計画も、あんなふうでは実際にはなかったのかも知れない。
数年後、就活生になってる瀧くんが振り返っていた、以前に読んでいた記事のように本当に、たまたま偶然にも祭りの日に避難訓練が行なわれたのかも知れない。
それには何らかのかたちで、別人かと思われるくらいに変貌して、父親と対峙する三葉の経験は絡んでいて欲しい、とも思うけれども、それが起こるのは夢であっても現実であっても構わないのじゃないか。

過去は泡のように消えて行く。たしかなことは、今しかない。

映画『君の名は。』で確かな現実として描かれているのは、瀧くんが就職活動をしている「今」だけ。
思い出そうにも思い出せない、違和感を含んだ記憶は曖昧で、うまくピースが噛み合わないパズルのよう。
それでも、
誰かを探している想いだけが、強くある。瀧くんも三葉も。
それだけがさ迷うふたりの進路を示す確かな光であって、それがぐっと来るのであって、過去という後ろを振り返ったらキチンとした〈地図〉があった、なんてことはあって欲しくないわけでつまり、
この映画の、ラストの時間から振り返られる〈過去〉のことは、辻褄が合わない夢のように何処か破綻していて、その壊れた?ディテールのひとつに科学的誤りが紛れ込んでるなんて、良いなあ、とぼくの好みで思ってしまった。
うん、この彗星軌道問題はぼくには、画き忘れられた龍の眼でなく、作品の傷でなく、実に魅力的な窪みになったんです。

だから、『君の名は。』を円盤化する際、単なるミスとして修正かけたりは、して欲しくないな~って思っています。
個人的には。




by シロメ犬崎フランソワ  20160916
最終更新:2016年09月16日 12:02