―――自己と他者の耳目が閉ざした楽園のイヴ―――

市丸 撫子




『私の世界を構成するもの。
 音階(スケール)と色調(カラー)、そして律動(リズム)。
 それらは幼い頃から、私がそばで過ごした友だちだ。

 私が普段から知覚している世界を、分かりやすく表現するのは難しい。とても難しい。
 どうやら”普通”の人のそれとは大分違うらしいから。
 でも、ここはあえて伝えてみる努力をしてみよう。諦められることには慣れていても、私から諦めるのは嫌なのだ。

 例えば、私が堅苦しい大昔の小説を読むとする。
 表紙を開いてページをめくれば、字、字、字……。まるで垂れ下がった無骨な鎖みたいな羅列の軍団。
 いかにも眠くなる退屈な光景だ。
 でも、私の感覚(フィルター)を通せば、
 たくさんの色合いがまるで水面の波紋のように次々と重なって、音符が気ままにメロディを奏でる世界に変身する(内容を理解しているかはさておき)
 誤解を怖れずに身近な表現をすれば、音ゲーに近しい。
 幼少からそういった感覚に慣れているせいか、実は音ゲーならなんでも成績は良い。大会出禁とかザラである。別に自慢じゃないけど。いやホントに。

 あ、もちろん、本だけじゃない。
 私が体感するものすべて、それぞれの音と色がある。
 天候、景色、触れ合う動物や関わる人間、その時の些細な言葉一つ一つにも例外なく

 私のこの体質は、専門的には共感覚(シナスタジア)、と呼ぶらしい。
 俗説では1/1000の確率で具わるという特殊な感覚で、より詳しく云うなら音視とか色聴とかを色々併発している珍しいタイプなんだとか。

 正直、私はピンと来ない。
 だって私にとっては、これが”普通”。これが当たり前。
 小さいころからずっと続く、私の、私だけの楽しい世界。色鮮やかな五線紙の楽園なのだから。』


「理屈なんか知んないわよ。
 でも、私の感じる色が、音が、リズムが教えてくれる。
 この人怖そうに見えて優しいよー、とか、今はこの場所危ないよー、とか。で、そーゆーのは大体外れないわけ。アタシもよく分からんけど。
 で、それによると、アンタはオレンジがかったセラミックブルーなの。オーケー? え、分かんない?」


「ヤバいわ……。
 今のアイツ、何だかすごい嫌な感じ。

 感情がね、鍵盤をめちゃくちゃに叩いて……あれ、違う。
 これ、めちゃくちゃじゃない。
 わざと不協和音ばかりにしてるんだ。さすがに和音が一つもないなんて変じゃんね。それをすっごい大音量で……赤、黄色、紫、え、これって群青?
 BPM、これ200超えてない? わけわかんないぐらい跳ね回って……。

 は、ううぐ、頭いった……。
 でも……、うん、やっと分かったわ、アイツの今の心ん中。
 赤みがかった黄色だからかなり危ない。鬱血してて、でも信じらんないけど深く澄んだ群青色で……ああ、もう、何で伝わんないのよ!!」


『結局。
 私のことなんて誰も理解してはくれない。
 表面上はどれほど仲良くしていても、心の内で何を思っているかなど私にはすぐ分かる。

 怯えと、侮蔑と、怪訝と、あとは軽々しい好奇といやらしい目……。
 心の隙間に付け込むようなうんざりする音色(トーン)ばかり。口だけの言葉に意味なんてない。なぜなら、人間は感情の生き物なのだから。

 彼らには、生理的な好き嫌いしかないのだろう。
 自分が好きになったものにはとことん擦り寄って、後のものはどうでもいいといった感じ。
 もっと言えば。
 自分が気持ち良くなれるかどうかで、物を見ているということだ。

 気持ち悪い
 気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い
 気持ち悪い!! 気ッッ持ち悪い!! 気持ち悪いんだよ!! ×ね!! ×ねよ!! 動物かよクソ!! ああああああああああ!!!』


最終更新:2015年07月15日 11:56