第四話「迷走」

脚本:高橋ナツコ/絵コンテ:佐野隆史/演出:林宏樹/作画監督:澤田美香


雑賀衆と契約を結んだ前田慶次は、行方知れずのまつを探すため動き始める。
その頃、甲斐を飛び出した真田幸村が向かった先は、軍神・上杉謙信のいる越後。
一方、伊達政宗は、石田三成を目指し、大坂へ向かっていた。
だが、その道の先には幸村の上田城があった……。
かたや徳川家康は、小早川秀秋と絆を結ぼうと会いに向かう。
その事は、すぐに石田三成の知るところとなり、三成もまた、小早川の元へと向かうのだった。
再燃する激情、さらなる激突の予感…!
(アニメ公式サイトより引用)


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※このページでは検証目的で「戦国BASARA Judge End」(テレコム・アニメーションフィルム制作)の映像を一部引用しています。
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・以下アニメの疑問点を紹介


+  幸村による信玄のコスプレ
 幸村による信玄のコスプレ
敬愛する信玄の兜と軍配斧を身に付けただけで信玄になったつもりとなり、果ては信玄の代わりに宿敵である謙信と決着をつけようとする幸村。
本人はお館様から託されたと言っていたが、病床の信玄とのそのような描写は一切なく無断で拝借したと考えられなくもない。
このような行動は原作には存在しておらず、本来幸村が謙信と刃を交えるのは大将としてどうあるべきかを悩み続けている最中である。
間違った解釈で意気がる事もあり得ない事だが、外見を真似ただけで信玄気取りになるなど、誰よりも信玄を敬愛する幸村として考えられない行動である。
「デフォルメキャラによる二次創作」レベルの挿話といっていいだろう。
そして進軍時、幸村と佐助の会話時において幸村の一人称が「某(それがし)」となっている。
元来幸村の一人称は目上の者や同等の相手には「某」であり、目下の者や佐助に対しては「俺」となっている為、二話でも触れたが幸村の台詞には違和感が多い。


+  物理的に水底に沈む幸村
 物理的に水底に沈む幸村
原作において、信玄が倒れ大将としてのあるべき姿が見出だせず、「水底の夢」を繰り返し見るようになるというエピソードがある。
これは幸村の深層心理を表現したもので、悩み続けた末に答えを見出だし水底の夢から解放される、という幸村ストーリーの成長の象徴なのだが
本作においては物理的に水底(川底)に沈められ、その状態で謙信と言葉を交わすという謎の演出がなされており
原作のエピソードを強引に繋ぎ合わせた無茶苦茶な演出という印象が拭えない。
加えて物理的に川へ沈められるのだが、その川が有り得ない程に深いという描写に首を傾げるしかない。

上杉謙信によって川へ弾き飛ばされる
川へ落ちて物理的に水底(川底)へ
川底が見えない程に深い

+  名台詞を言わない石田三成
 名台詞を言わない石田三成
石田三成が小早川を叩くシーンにおける、「憎悪が!永劫に!輪廻する!!」という台詞はBASARA3のPVにも使われ、
その独特の音感やシュールさ、裏切りを嫌いつつそれを強要している自分の複雑な心境の表現、三成のキャラクター性のインパクトが相まってファンに親しまれているものであるが、本作においては完全にカットされていた。
伊達政宗のアグレッシブなキャラ改変とは対照的に、石田三成はゲームに比べ家康を見ても反応が薄いなど、
冷静なキャラクターに改変されている。
ともすれば主君を失った復讐キャラであることを忘れそうになるほどであり、
まるで石田三成の狂気を伊達政宗に移植したようだとも言われている。

+  現代の意味での人質となるまつ
 現代の意味での人質となるまつ
戦国時代における人質とは、国同士の繋がりを深める意味でも、重要な取引の材料としても非常に丁重に扱われるものなのだが、
まつは体を縛られた状態で倉に閉じ込められるという、所謂現代の意味での人質となってしまっている。
原作でまつがこのような粗末な扱いを受けていた描写は無い。
因みに原作では誘拐したのは最上だが、今作品では小早川軍の天海となっている。


+  四国壊滅を忘れているかのような元親
 四国壊滅を忘れているかのような元親
元親は部下が大量に死んだばかりであるのに、まるで何事もなかったかのように
晴れやかに石田三成と行動を共にしている。まるで石田の従者のようである。
部下想いのキャラクター設定はどこへ消えたのか。
例えそういう設定がなくても領主の行動としてあまりにもおかしい。

+  ライバルである真田幸村を「邪魔な小石」呼ばわりする伊達政宗
 ライバルである真田幸村を「邪魔な小石」呼ばわりする伊達政宗
ゲーム戦国BASARA3における「簡単なことだ…つまづいた石を超え、頂まで登りゃいい」
という政宗の台詞を元にしたものではないかと推測されるが、これは石田三成を指して言った台詞である。
わざわざ「邪魔な小石は蹴散らすのみだ!」とニュアンス・文脈・相手を変え、全く意味合いの違うものとなってしまっている。
政宗は幸村のことを生涯のライバルと認めており、幸村の成長のために厳しく叱咤することはあっても
このように軽んじることは決してないキャラクターである。

+  理由のない伊達政宗の狂気
 理由のない伊達政宗の狂気
原作ゲーム:三成に敗北+部下大量死+領土縮小
   ⇒辛酸を舐めたが理性とプライドを失わず、小十郎とライバルの声を聞き、這い上がった
当アニメ:ただ単騎で突っ込んで負けただけ
   ⇒今まで言わなかった「殺す」という台詞を連発し、天下がどうでもよくなり、目を血走らせ部下に斬りつけ幸村を軽んじるほど前後不覚に
政宗が狂うほどの理由がアニメオリジナルで描かれていれば、 キャラの新しい一面として受け入れられた可能性もあるが、
これでは前提がお粗末すぎて無理である。
むしろゲームより内容が軽くなっており、大仰な乱心描写だけが浮いている。

+  怒りをあらわにしすぎている伊達政宗
 怒りをあらわにしすぎている伊達政宗
政宗は本心を直球で表すことが少ないキャラクターであり、憤ると逆に静かになる傾向すらある。
ゲームにおいては石田三成に敗北後、立ち直るまでの間において、
「腹の中の怒りは見破られている、か…Ha, 流石は小十郎だぜ」という台詞があるなど
感情を素直に表さないキャラクター造形が、さりげなくも随所で表現されている。
石田三成に「誰だ貴様は」と言われて激昂するシーンにおいても、
原作であるゲームの台本集のト書きには、「怒りのあまり無表情」と書かれている。
このアニメのようにうううううと唸ったり目を血走らせて吠えるというのは、ずいぶんとキャラクター性にそぐわない描かれ方である。


+  政宗の左前で棒立ちの小十郎
 政宗の左前で棒立ちの小十郎
片倉小十郎は伊達政宗の右目を名乗っており、欠けた視界を補うため、また背中を守るため常に政宗の右後ろ側に控えているキャラだが、
このアニメでは三成と幸村と対峙し、政宗が六爪を抜いたというのに政宗の左側前方で微動だにしない。
政宗への危険には本人よりも敏感なほどの小十郎としてあり得ない状態である。
公式サイトのキャラクター紹介には「周りが見えなくなっている政宗に何もできない自分を不甲斐なく思っている」と書かれているが
「何もできない」ではなく「何もする気がない」の間違いではないかとも考えられる。

左側前方で棒立ち状態の片倉小十郎

+  「殺してやる」と吠える伊達政宗
 「殺してやる」と吠える伊達政宗
第3話においても指摘されていたが、原作の政宗は「殺す」という表現を使わないキャラクターである。
ゲームのこのシーンでは「ケリをつけてやる」という台詞が使われていた。
「殺す」を多用するのはゲームの石田三成の特徴であり、ここでも言動のすげ換えが行われている。

最終更新:2014年08月20日 04:57